女躰大神
2018.10.15[ 神社 ]
独自の御由緒を伝える、旧南河原村鎮守の女体権現社
女躰大神
旧南河原村の鎮守として崇められてきた「女躰大神」。
対岸の武蔵国荏原郡八幡塚の人々が移住して開墾されたと云われる旧南河原村。多摩川の下流域にあるこの地は度々水害による冠水で悩まされていたと云います。ある時一人の女性が水中に身を投げ、その後は大きな災害もなく、村民は濃厚に励むことができるようになったということから、この女性の献身と偉業を称え後世に伝えるために『ニコニコ松』の下に祠を建立しその御霊を祀ったのが起源と云われています。
明治期の神仏分離により「女體権現社」から現在の「女躰大神」に改称。この頃から御祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命になったと伝わっています。
多摩川流域にいくつか残る「女体権現社」(およびその名残の各社)ですが、こちらは他とはまた別の伝記が残っている神社。「女体社」とは、少なくとも関東では(1)船霊を御神体とする系統(2)筑波山信仰の流れを汲む系統(3)(時代は下って)氷川女体社を祀っていた系統、の3つがあるように思いますが、こちらの神社に残る御由緒では何れにも属さない可能性があります。
「永禄年間(1558年〜1570年)より女躰権現と称へられ」(神社掲示の御由緒)という記述だけを見れば(2)かな、と思いつつ、水害を伝える逸話を踏まえると(1)かな、と思ったり、、素直に御由緒を信じるのももちろん「あり」な話。どうしても起源を特定しなければいけないということでもないですよね!
現在境内は「女躰神社幼稚園」の敷地となっています。
最寄駅は、各線「川崎」駅。徒歩2・3分ほど。
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