素盞雄神社(荒川区南千住)
2025.06.26[ 神社 ]
荒川区最大の氏子地域を持つ旧郷社「素盞雄神社(荒川区南千住)」。
平安時代の795年(延暦14年)、役小角の高弟でこの地に住んでいた黒珍の前に素盞雄命・事代主命が現れ、神託を告げたことを契機に祠が造られたのが起源と云います。
創建以来、二柱を別々の社殿にお祀りしていましたが、江戸時代中期に社殿が焼失した後は合祀されるようになったそうです。
『新編武蔵風土記稿』には「飛鳥権現牛頭天王合社」と、『江戸名所図会』では「飛鳥社小塚原天王宮」と紹介されています。地域では「おてんのうさま」と呼ばれていたようです。しかし明治期の神仏分離に伴い、現在の「素盞雄神社」へと改称されました。
荒川区教育委員会による案内板『素盞雄神社』には、以下のように記されています。
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小塚原・三の輪・下谷通新町・三河島・町屋など、区内で最も広い地域を氏子圏とする鎮守で「てんのうさま」とも呼ばれる。
石を神として尊崇する仰は全国各地にみられるもので、当社も石神信仰に基づく縁起を有する。延暦十四年(七九五)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。
宝暦年間頃まで行われていたという千住大橋綱曳は、その年の吉凶を占う当社の神事で、『東都歳事記』(天保九年)にその雄壮な様が描かれている。
荒川区教育委員会
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御祭神は、素盞雄大神・飛鳥大神。ちなみに江戸時代までは牛頭天王・飛鳥権現でした。
最寄駅は、各線「南千住」駅。徒歩約8分ほど。
東側にある鳥居。鳥居の大きさだと、こちらが一番。
東側からの拝殿。最初はこちらが「正面」だと思っていました。
御神木。
こちらは、南側入口の鳥居。大きさだと東側より小さいですが、こちらが正面。
拝殿を正面から。手前には立派な獅子山があります。
この先にお祀りされているのが瑞光石。荒川区教育委員会による案内板『瑞光石』には、以下のように記されています。
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瑞光石は、素盞雄神社の祭神が翁に姿をかえて降臨した奇岩といわれ、「瑞光荊石」とも称される。また、この塚を「古塚」と呼んだことから、小塚原の地名の由来をこれにもとめる説もある。
嘉永四年(一八五一)には周囲に玉垣を築き、元治元年(一八六四)には浅間神社を祀った。
万延元年(一八六〇)に編纂された『江戸近郊道しるべ』には、千住大橋架橋の際、この石の根が荒川(現隅田川)まで延びていたため、橋脚がうちこめなかったという伝承を紹介している。
荒川区教育委員会
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上記の通りこの塚には浅間神社がお祀りされており、事実上「富士塚」となっています。
境内社。
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東京都荒川区南千住6丁目60−1