矢向日枝神社

2020.10.30[ 神社 ]

かつては近郷七ヶ村の鎮守だったと伝わる神社 矢向日枝神社

かつては近郷七ヶ村の鎮守だったと伝わる「矢向日枝神社」。

江戸時代前期の1638年(寛永15年)の創建だったと伝わっています。当時は矢向村をはじめ、市場村、江ヶ崎村、塚越村、古川村、上平間村鎮守として祀られていました。江戸時代末期には矢向村の鎮守、明治期には村社となりました。

境内にある御由緒には、以下のように記されています。

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当神社は滋賀県大津の日吉神社の御分霊を勧請したもので、山王大権現、山王社等と称され、寛永十五年の創立と云い古えは矢向村、市場村、江ヶ崎村、塚越村、古川村、上平間村、の七ヵ村の鎮守であった。元別当寺だった同所の最願寺等に存している棟札に依ると、寛永十五年、寛文三年、享保十年、天明二年、文化七年等の各年代に造立が行われ各時代に亘って七ヵ村の造粒する処とされていたが天保の末に至っては各村は分離し、当神社は矢向一村の鎮守となったのである。その後、徳川氏に至って若干の社地を寄進せられて神田耕地と称する所があったと云われるがこれが当神社の領地であったらしい。
往時鶴見川、六郷川の氾濫で度々社殿は破損した事もあったが天保十四年に再建し、明治六年村社に列せられ山王社を改めて日枝神社と改称し、同四十二年二月一日無格社十二柱神、神明社、稲荷社の三社を併合の上大正十一年十月六日、神饌幣帛料供進社(国又は市町村から産物を献納する)に指定された。
その後、昭和二十一年に宗教法人となり、昭和三十二年八月には氏子崇敬者の赤誠によって御社殿の改修が行われ今日に至っている。

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主祭神は、大山咋命。相殿神として、天御中主神、天津神七柱、国津神五柱、豊受比売命。

最寄駅は、JR南武線「尻手」駅。徒歩3・4分ほど。

矢向日枝神社写真

大鳥居。その先に二ノ鳥居が見えます。

矢向日枝神社写真

二ノ鳥居と拝殿。

矢向日枝神社写真

拝殿前の鳥居。時世柄?マスクをしていました。

矢向日枝神社写真

境内社の「やるき稲荷」。他にも境内社は多数ありました。

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