本牧原吾妻神社
2021.06.20[ 神社 ]
新田義貞の家臣・篠塚重広によって勧請・創建されたと伝わる神社
本牧原吾妻神社
新田義貞の家臣・篠塚重広によって勧請・創建されたと伝わる「本牧原吾妻神社」。
かつてあった御神体の背面に「文和三年(1354)正月十七日祠基新謹平重広」とあったことから、新田義貞の家臣・篠塚重広によって勧請・創建されたと云われています。以来この地域の鎮守として、特に漁業関係者からの信仰が篤かったそうです。
境内に掲げられている御由緒には、以下のように記されています。
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本牧は江戸時代から漁業が盛んな町で江戸日本橋新肴場と呼ばれる魚市場へ鮮魚を卸していました。吾妻神社は地域の漁業関係者からの信仰も厚く、現在も残る御影石造りの玉石垣に刻まれた名前からもその様子がうかがえます。
御由緒
創建年代は不明ですが江戸時代の古文書に本牧本郷村原地区の鎮守として紹介されています。かつては吾妻権現社、吾妻明神社とも呼ばれていました。
横浜大空襲により消失した御神体の背面には文和三年(一三五四年)正月十七日祠基新謹平重広と銘記してあったと伝えられていることから新田義貞の家臣篠塚伊賀守重広が勧請したとの説があります。また、木更津の吾妻社の御神体が波に漂っていたところを当時の漁師吉大夫が網ですくい上げ天和三年(一六八三年)に社殿を建てて祀った、との説もあります。
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明治期には本郷村の村社となりました。
御祭神は、日本武尊。
現在はお三の宮日枝神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、JR根岸線「山手」駅。徒歩だと、30分以上かかると思います。
正面の鳥居。
境内。
拝殿。
獅子山。狛犬もしっかり?マスクをつけています。
境内社。
境内の御由緒板。
MAP
神奈川県横浜市中区本牧原29−18