椎ノ木地蔵尊・八坂神社

2021.01.14[ 神社 ]

椎ノ木地蔵尊・八坂神社

古くから地域の信仰の中心だったと伝わるお地蔵さま・天王様 椎ノ木地蔵尊・八坂神社

古くから地域の信仰の中心だったと伝わる「椎ノ木地蔵尊・八坂神社」。

椎ノ木地蔵尊の開基は不明ですが、『この小石をお借りして、朝夕念願を込めて体の悪い所や傷の上などをさすっておりますと、不思議にもいつしか其所が快癒する』と云われていたそうです。

そのお隣に祀られている「八坂神社」は、江戸時代には京都の祇園社と同じく「感神院祇園社」と称していましたが、明治期の神仏分離により京都の祇園社「八坂神社」に改称された後、こちらも「八坂神社」に改称されたようです。

「椎ノ木地蔵尊 八坂神社 由来」と刻まれた石碑には、以下のように記されています。

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この古木茂る地蔵堂境内は、横浜市緑区田奈町三七ノ五面積四十一坪ですが旧称は、神奈川県都筑郡田奈村恩田字西ノ谷四一六二番面積四十八坪でした。昭和十四年四月、村が横浜市に合併され、地名は横浜市港北区恩田町となり、その後昭和四十四年十月 港北区は二分され、当地は緑区と改称されました。この地は分区前より開発と区画整理が進められていましたが、昭和四十六年七月工事が完了し、町名は田奈町に改められました。そして、林野であった一帯の土地は整地されて宅地となり、様相を一変しましたが、この境内は私共住民の「現状維持」の強い要望により、略旧態を保つことが出来ました。
この土地は元国有地でしたが、去る昭和九年、地元住民が、「祖先以来深く信仰する地蔵尊の鎮座される聖地」の故を以て大蔵省に請願し、代金貳拾五圓貳拾五銭で払い下げを受け、住民共有の土地としました。
区画整理前まで石段の前にあった巾二メートル余りの道は、昔府中・鎌倉街道と云われ、今から六百余年前(一三三三年・元弘三年・後醍醐天皇)上州の名将新田義貞が鎌倉の執権北條守時征討の際、軍勢を率いて此処を通り、鎌倉へ入ったと伝えられています。くだって五百余年の昔(一四五七年・長禄元年・將軍足利義政)太田道灌が江戸城を築いて以来、この地は人馬の交通が次第に多くなり、その後足利・織田氏等の戦国時代を経て、徳川家康が天下を統一し江戸幕府を開き(一六〇三年・慶長八年・後陽成天皇)江戸が大都会となるにつれ旅人の往来も益々多く東は江戸、西は大山、南は神奈川、北は府中へと交通の重要地点となりました。その上、此処は快い台地で、東南の開けた景勝の地でもありますので、信仰を重んずる私どもの祖先は、神仏を祭る絶好の場所として、この地を選んだものと思われます。境内の北隅に昔を偲ぶことの出来る石の道標が建っていましたが、区画整理のため取り除かれ、現在は境内北端に保存してあります。
今回改築されたお堂に祭られてあります地蔵尊は、子育椎ノ木地蔵尊と申し開基は明らかでありませんが、樹齢数百年に及ぶ椎の古木はよくその歴史を物語っています。私どもは祖先以来数百年の長い間深くこのお地蔵様を信仰し毎年四月四日、ご詠歌のご供養を行いますが、当日は各地より、大勢の善男善女が参詣され賑わいを呈しております。お堂の中に多数の小石がありますが、この小石をお借りして、朝夕念願を込めて体の悪い所や傷の上などをさすっておりますと、不思議にもいつしか其所が快癒すると信じられております。堂内に納められている多数の小石と石仏は、念願によりご利益を預かれた方々が、お礼のために奉納されたもので、いつしかこの様に沢山の数となったのであります。又お堂の裏に立つ椎の古木は、以前は立派な大木でしたが、去る明治三十九年、浮浪者の焚火の不始末により、お堂が炎上して幹の大部分を焼き酷く損傷しましたが先般横浜市より、市の保存木に指定され、私共が大切に保護することになりました。尚左方一段低い境内に鳥居が建ち、その奥に小さな石の社が鎮座されておりますが、この社は天王様と申し、お地蔵様同様に私共が祖先以来、厚く信仰し、毎年七月十四日簡素なお祭りを行っております。社の本名は八坂神社と申し、御本社は京都市東山区祇園町にある八坂神社でありますが、古くは、感神院祇園社と云われておりました。本地垂迹説(仏・菩薩が衆生済渡のため、仮の姿を取り日本の神衹となって現れると云う神仏同体説)に拠りますと、天王様とは、お釈迦様がお説法なされた寺である祇園精舎という寺の守護神であられる牛頭天王のことであり、日本の素戔鳴尊と神格がよく似ておられる所から、牛頭天王が日本の衆生を救うため、姿を変えて素戔鳴尊となって現れたのであると信じられておりました。
それ故昔は仏前に新酒を供へ、神前に読経して、少しも怪しまぬまでに両者が混淆したのでありまして、江戸幕府滅亡以前は、感神院祇園社の祭神は牛頭天王であると確信されておりました。
明治維新の際、神仏分離の制となり、明治元年五月「神衹官達」により感神院祇園社は社名が八坂神社に改まり、祭神は素戔鳴尊となったのであります。然し長い間の信念が人々の心から離れず、今日に於ても八坂神社を天王様と申している所が非常に多いとの事であります。

昭和四十九年三月

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地元の方々の篤い信仰心と、保存に向けた努力がよく伝わる内容ですね。

現在の御祭神は、素戔鳴尊。

最寄駅は、東急田園都市線「田奈」駅。

椎ノ木地蔵尊・八坂神社写真

由来の刻まれた石碑。

椎ノ木地蔵尊・八坂神社写真

地蔵堂。

椎ノ木地蔵尊・八坂神社写真

左側に鎮座しているのが、八坂神社。

椎ノ木地蔵尊・八坂神社写真

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