上菅田八幡神社

2020.09.14[ 神社 ]

上菅田八幡神社

古くから上菅田村の鎮守として祀られていたと伝わる八幡さま 上菅田八幡神社

古くから上菅田村の鎮守として祀られていたと伝わる「上菅田八幡神社」。

創建年代は不明ですが、古くから武蔵国都筑郡小机領上菅田村の鎮守として祀られていたと云われています。

境内にある「建立記念碑」には、以下のように記されています。

==========

この八幡神社は郷土上菅田の鎮守として永くこの地に遷座され、文化十三年に再建との史録があり、又、大正十二年五月一日に発生した関東大震災には、大きな被害を蒙り当時の氏子崇敬者の多大な協力により復旧されて、爾来、百大拾有余念の歳月と風雪を経た歴史ある神社です。八幡神社の祭神は、応神天皇とされ、境内社として、八坂社、天神社があります。八坂社の祭神は、素盞鳴命とされ、天神社は九州大宰府の天満宮よりの御分霊により菅原道真公を御祭神とされております。八幡神社、八坂社、天神社の建立由緒については、記録的に不詳です。
昭和五十五年二月十二日午後五時頃、不審火により、八幡神社社殿及八坂社共に全焼し一夕にして統べてが灰塵と化しました。幸に、祭神の御加護か天神社のみ類焼を免れ、八坂社に奉齊の御輿も無事に搬出されたことは、不幸中の幸いでありました。
世情が騒然として驚愕の中にも神社関係者一同、緊急に鳩首相諮り、対応策を議し、八幡神社社殿及八坂社の再建を決議した。その再建資金の捻出には、広く氏子崇敬者から浄財の御寄進を求めることとし、再建者委員会を発足せしめ、再建への第一歩を開いた。
昭和五十六年六月七日再建委員会を開催し、再建原案を示し、再建予算を七阡万円とする事の決定により事業の執行を促進した。
事業の施行は本社を東京都に置く松井建設株式会社を指名業者とし、設計施工に当たらしめ、その設計施工計画は慎重審議の上決定、再建を開始す。
昭和五十六年十月十二日 地鎮祭施行
昭和五十七年四月二日 上棟式施行
昭和五十七年十月三日 竣工式施行
八幡神社社殿及八坂社の竣工式に併せて披露をなし、多くの参詣者を迎えて茲に再建が達成されたものです。
社殿再建を期し、由緒を正すため昭和五十七年九月三十日大分県宇佐市所在の宇佐神宮より、御霊の御分霊を拝戴し同年十月二日午後七時御分霊を八幡神社奥殿に神事式を施行し遷座された。
氏子崇敬者の御援助により、念願の八幡神社社殿及八坂社の再建が恙なく完成し、再び郷土の鎮守として萬方に安らけく。
守護の曙光を與えられる事の感激とこの再建に深い御理解により浄財を御寄進された方々を永く後世に伝え、そして八幡神社の繁栄とを祈念して、この記念碑を建立す。

昭和五十八年八月吉日
八幡神社社殿 再建委員会

==========

現在は劔神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、相模鉄道本線「西谷」駅。

上菅田八幡神社写真

正面の鳥居。

上菅田八幡神社写真

拝殿。

上菅田八幡神社写真

拝殿に掲げられた扁額。

上菅田八幡神社写真

境内社の天満宮。

上菅田八幡神社写真

境内社の八坂神社。

上菅田八幡神社写真

「建立記念碑」。

上菅田八幡神社写真

MAP

特集

東京ラーメンストリート特集

江戸七氷川巡り

日本橋七福神巡り

「八八幡詣で」でご利益八倍?江戸八所八幡巡り

東京五社巡り

新横浜ラーメン博物館特集