田園調布八幡神社

2019.10.21[ 神社 ]

鎌倉時代創建・江戸時代には上沼部村の鎮守として祀られていた神社 田園調布八幡神社

鎌倉時代創建・江戸時代には上沼部村の鎮守として祀られていた「田園調布八幡神社」。

建長年間(1249〜1256)、鎌倉街道の要衝だったこの地に八幡神社を勧請・創建したのが起源と伝わっています。江戸時代に社殿が建立され、以来上沼部村の鎮守として祀られてきました。

境内の案内板には、以下のように記されています。

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田園調布八幡神社の創建は鎌倉時代の建長年間(西暦一二四九〜一二五六)と伝えられる。この時代、鎌倉幕府は執権の北条氏が実権を握り、国内基盤固めを行っていた。各地で武士達はもとより村人達も幕府に忠誠を尽くす意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛んで、多くの八幡神社が建てられた。
当時、この村の西側、現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸(ろうやと…今もそう呼ぶ年配者もいる)と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔々と打ち寄せる自然の良港であり、物資を積んだ舟が盛んに出入りしていた。また、この村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が通り、篭谷戸の港に接続していた。港を中心としてこの一体には多くの鎌倉武士が駐屯し、鎌倉街道の要衝の地となっていた。そして、この八幡神社の地は港の入口に突き出した台地で、舟の出入りを監視できる重要な場所であった。鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、八幡神社を勧請した。以来、この八幡神社の地は聖地となり、人々に崇められてきた。
天正十八年(一五九〇)小田原北条氏滅亡後、八王子城主、北条氏照の旧臣、落合某がこの村に庵を結び、主家の冥福を祈った。そして、寛永年間(一六二四〜一六四四)、落合某の孫、落合弥左衛門らによりこの聖地に新たな社殿が創建され、ご神体が祀られた。
江戸時代、この神社は武蔵国荏原郡世田ヶ谷領上沼部村に属し、明治中期の四村合併まで村社であった。寛政四年(一七九二)には、この村の知行主となった神谷縫之助も氏神とするなど、今日まで常にこの地域の人々の心の拠り所として崇敬されて来たのである。

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御祭神は、誉田別命。

現在は「雪ヶ谷八幡神社」の兼務社となっています。

最寄駅は、東急東横線・目黒線「田園調布」駅。徒歩15分ほど。

田園調布八幡神社写真

正面の鳥居。

田園調布八幡神社写真

丸子川に掛かる橋を渡り、石段を登っていきます。

田園調布八幡神社写真

手水舎。

田園調布八幡神社写真

多摩川の方角に向けて造られた社殿。

田園調布八幡神社写真

境内社の稲荷社。

田園調布八幡神社写真

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