安養寺福寿弁財天

2021.05.11[ 神社 ]

安養寺福寿弁財天

元々は民家に祀られていた、霊験あらたかな弁天さま 安養寺福寿弁財天

浄土宗一到山安養寺の門前に鎮座する「安養寺福寿弁財天」。安養寺は、15世紀後半に慶誉によって開山したと伝わっています。

「福寿辨財天縁起」と書かれた案内板には、以下のように記されています。

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抑 當山に安置し奉る福寿辨財天の霊像は近江國竹生島の辨財天と同木にて御丈六寸七分、弘法大師の御作なりと古来より云傳えられる。
この辨財天は辨公の父家、小林某という者、世に奉持し、しばしば霊験あり。就中今を去る三百三年の昔、元禄十四年(西暦一七〇一)の春、隣村寺尾村の熊澤氏の一男、病久しく薬石効なく危篤に陥りこゝに近親のもの、辨財天の霊瑞を聞傳え最後の救護を祈るに あら不思議かな病者たちどころに回復に及べり。
これを傳聞せる賓客遠近より雲集所願満足の輩 この霊像を民家に安置するは恐れ多しと翌年十五年の秋、旧二ツ池西の丘に神祠を営むに至れり。是れ安養寺二十五世即譽辨我上人の時のことなり。
然るに星霜重ね御堂破損に及ぶれば三十三世沖譽義観上人の文化六年(西暦一八〇九)に至り、堂宇の荘厳を加へ、越えて文政八年(西暦一八二五)霊地を今の地に改め四月八日棟上をなせり。旧地附近に神久保辨天坂の地名存するはその由縁による。
辨財天は元来、印度サラスバテー河音を象徴したもので、主として音楽を司り、又招福の神として知られている。この辨財天に諸人祈らば病苦災難悪神の障害を除き子孫長久、商売繁昌の利益を得くこと夢ゆめ疑う事なかるべし。ここに福寿辨財天の来由を述べ、唯々随喜感銘し奉る。

平成十六年十月吉日
一到山 弥陀院 安養寺四十四世 進譽道正

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現在は「鶴見七福神」のひとつ(もちろん弁財天)になっています。

最寄駅は、京浜急行本線「生麦」駅。

安養寺福寿弁財天写真

安養寺福寿弁財天写真

安養寺福寿弁財天写真

安養寺福寿弁財天写真

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