橘樹神社(川崎市)

2017.10.27[ 神社 ]

橘樹神社(川崎市)

武蔵国橘樹郡の総社として崇敬を集めた、弟橘媛の逸話が伝わる古社 橘樹神社(川崎市)

古くから旧子母口村の鎮守として、また橘樹郡の総社として崇敬を集めた「橘樹神社」。かつては「立花社」と称していたそうです。

社伝によると「日本武尊東征の際海が荒れ、弟橘媛はその身を投じ海を鎮た。やがて入水した媛の御衣・御冠の具だけがこの地に漂着した。」とあり、御陵を造り(これが子母口富士見台古墳)、流れ着いたものをおさめたと云われており、その御霊を鎮めるために造られたのがこの神社だと云われています。この地域の名称「武蔵国橘樹郡」も、この逸話に基づいていると伝えられています。

境内にある『橘樹神社修復記念碑』には、由緒等について以下のように記されています。

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日本武尊が御東征のみぎり、当地方から房総半島方面へ渡航せんとした際、海神の怒りか海が大いに荒れたため、御妃の弟橘媛がその怒りを鎮めようと、尊の身代りとして海中に身を投じられた。
媛のこの崇高な行為により荒れ狂っていた波浪も忽ち静かとなり、尊の御一行は無事に渡海することができた。後日、媛の装身具の一部がこの地に漂着し、村人は媛を憐れんでそれを此の地に埋めて祀った。
尊は御東征の帰途、再び此の地に立寄り媛を慰霊するため、一社を建立したのが当社の創建と伝えられている。

当社は嘗て橘樹郡総社として崇敬され、江戸名所図絵にも掲載された由緒ある神社であり、現在の社殿は当時の氏子の熱意により現在から百三十七年前に改建されたものである。
しかし、歳月の経過と共に各所が老朽化し放置できない状態となったため、遠い時代より祖先が崇敬し維持してきた神社を修復し、次の時代に引継ぐことは現在の者の責務であるとし、平成と改元された記念事業として多数の有志の浄財によりこの工事を実施した。

平成二年十月吉日
橘樹神社修復委員会

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神社から子母口富士見台古墳まではそれなりの距離がありますが、丘の上に御陵、その麓にお社ですから、かつてはこの丘そのものが御陵で、それを祀り、護る形で神社があったのだと思われます。

御祭神は、倭建命(日本武尊)・弟橘比賣命(弟橘媛)。

現在は元住吉の住吉神社の兼務社となっているようです。

最寄駅はJR南武線「武蔵新城駅」。徒歩30分ほど。

橘樹神社(川崎市)写真

拝殿横にある、山岡鉄舟による書を刻んだ碑。「日本武の松」の表題と、「枝毎に千代をこ江多る玉垣の まつ乃姿盤神さ非る良む」(えだごとに ちよをこえたるたまがきの まつのすがたはかみさびるらん)という唄が刻まれています。

橘樹神社(川崎市)写真

橘樹神社(川崎市)写真

橘樹神社(川崎市)写真

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