伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)

2021.12.30[ 神社 ]

伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)

古くから中馬引沢に祀られていたと伝わるお稲荷さま 伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)

古くから中馬引沢に祀られていたと伝わるお稲荷さま「伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)」。

詳しい創建年代や不明ですが、戦国時代末期〜江戸の初め頃に旧中馬引沢村の村民持だった小祠が起源と云われています。明治期に村内の天祖神社に遷座しましたが、その天祖神社が駒留八幡神社に合祀される際に遷座し、現在地には1926年(大正15年)に遷座しました。

境内にある石碑には、以下のように記されています。

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徳川幕府の始頃より上馬貳百拾八番地赤松群生の間に稲荷の小祠ありき、廣尾祥雲寺の所有地故祥雲寺山稲荷と俗称し中馬引澤村民持にて天下泰平五穀豊穣子孫長久を信仰功徳の標幟とす、中馬引澤は即ち今三軒茶屋部落也、當社の起源は他の村民持稲荷と同様戦国末頃より家祖を祀れる内官が部落持に推移せる也、當社側に庚申碑あり正徳四午年と刻す、明治拾貳年此社地を処分しむ伊勢の森天祖社域に移転す當時の中馬は参拾貳戸の寒村也、天祖社は上馬分にて喬杉老松椎樫等の壮麗なる密林なリき、明治四拾貳年天祖社が駒留八幡社に併合せらるとやその内殿を當社に付与して伊勢丸稲荷と改称し其の跡地に鎮座せしが大正二年五拾五番地に借地移転し更に大正拾五年茶屋下橋畔に遷座す、神木●●石庚申碑其他天祖社引継の宝物亦々に伴って移転せり、今茲に當社の由来を略記して社域に供進す

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馬引沢は江戸時代に上馬引沢村・中馬引沢村・下馬引沢村に分かれましたが、上馬引沢村は現在の上馬、下馬引沢村は下馬として一部のみですがその名称が残っています。対して中馬引沢村は、現在は三軒茶屋となっています。

最寄駅は、東急田園都市線「三軒茶屋」駅。徒歩約5分ほど。

伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)写真

社殿。

伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)写真

御由緒の書かれた石碑。

伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)写真

鳥居に掲げられている扁額。

伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)写真

伊勢丸稲荷大明神(世田谷区三軒茶屋)写真

MAP

東京都世田谷区三軒茶屋1丁目22−3

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