新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)

2021.08.27[ 神社 ]

新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)

かつては亀甲山に祀られていたと伝わる神社 新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)

かつては亀甲山に祀られていたと伝わる「新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)」。

創建年代は不明ですが、『新編武蔵風土記稿』に記載のあることから、江戸時代には既にこの地域に鎮座していたものと思われます。かつては亀甲山と呼ばれる小山に鎮座していたのですが、高速道路建設に伴い山が削られた際に亀甲橋の袂に移されたのだそう。

境内にある「記念碑」と書かれた石碑には、「神社の御由緒」が書かれていると思ったのですが、、内容は「亀甲橋」架け替えに関するものでした。一応、内容を以下に記します。

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大正八年當時マデノ新羽部落ハ作橋太尾橋ニ依ッテ大豆戸ヲ経由シテ横濱ニ通ズル難路ト鶴見川ヲ渡シ舟ニ依ッテ小机驛ニ至ル歩道トヲ持ツニ過ギナカッタ ココニ於テ小机驛及ビ横濱方面ヘノ新道路開発ヲ決議シ自力ニ依ッテ用地ヲ買収シ部落民一丸トナッテ之ガ建設ニ邁進シタ結果新羽亀甲橋ト称スル街道ヲ持ツニ到ッタ
然ルニ出水期ニハ通行不能トナルコトガ屡々アル上ニ時代ノ移リト共ニ交通量ガ増大シテ誠ニ不便デ新羽町ノ発展ニ大キナ障害デアッタ
之ガ解消ヲ要望スル聲ハ日ト共ニ高マリ昭和二十七年市農政課指導ノ下ニ小机鳥山両町ノ協力ヲ得テ前後二ヵ年ニ亘リ改修ヲ實現シ更ニ鶴見川ノ改修ト相俟ッテ亀甲橋ノ架ケ替工亀甲山貫通道路ノ建設ヘト町民ノ意慾ハ結集シ時ノ市會議長島村力氏ノ格別ナル盡力ト建設省市當局ノ理解アル温情トニ依リ市道路課ノ手デ昭和三十年十二月近代様式ニ依ル亀甲橋及ビ貫通道路ノ完成ヲ見ルニ到ッタ
今茲ニ往時ヲ回顧シ我等ガ先代ノ偉大ナル功績ヲ讃へテ記念トスル

昭和三十一年一月吉日 町会長 秋本稀代二

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最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「北新横浜」駅。各線「新横浜」駅も、(なんとか)徒歩圏です。

新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)写真

正面から撮った神社全景。

新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)写真

「記念碑」と書かれた石碑。

新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)写真

鳥居の扁額。「浅間大神」と書かれています。

新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)写真

建屋の内部。

新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)写真

神社の前は「亀の甲橋」交差点。奥に見えるのは、横浜国際総合競技場(日産スタジアム)。

新羽浅間神社(横浜市港北区新羽町)写真

MAP

神奈川県横浜市港北区新羽町16

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