駒岡浅間神社

2020.10.07[ 神社 ]

駒岡浅間神社

太田道灌の逸話が伝わる「兜塚」がある地に鎮座する小祠 駒岡浅間神社

兜塚古墳の頂上に鎮座する「駒岡浅間神社」。

創建年代は不明ですが、古くからこの地に鎮座していたと伝わっています。神社のある丘は、太田道灌の逸話が伝わる「兜塚」。また昭和になり発掘調査が行われ、6世紀頃に築造された古墳だったことがわかりました。

御祭神は、木花開耶姫命。

現在は師岡熊野神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、東急東横線「綱島」駅、もしくはJR南武線「矢向」駅。

駒岡浅間神社写真

頂上の鳥居と祠。

駒岡浅間神社写真

鴨志田與右衛門追慕碑。鴨志田與右衛門は江戸時代後期〜明治期の江ヶ崎の住民で、富士講に起源を持つ「富士扶桑教」の行者として、多くの信徒を集めていたと云われています。富士山登頂45回、また矢向日枝神社の450kgあるという豊遊石(力石)を背負って歩くほどの怪力の持ち主だったとも伝わっています。

駒岡浅間神社写真

東側にある兜塚/駒岡浅間神社の入り口。

駒岡浅間神社写真

兜塚の碑。

鶴見区役所による「兜塚古墳跡」案内板には、以下のように記されています。

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兜塚は、外形が兜の形をした古墳で、高さ5.8メートル、直径30メートルあり、副葬品などから古墳時代後期(6世紀)頃のものといわれています。
昭和6年(1931)頃、長慶天皇(1368~1383)の陵墓だという説がおこり、県当局よりの指示で、石野瑛、山田寅元、池谷健治らが、発掘を試みたところ礫床を発見し、瑪瑙の勾玉・水晶の切子玉・青銅渡金の金環など数点が発見されました。その後、昭和26年と40年にも調査をしています。

兜塚伝説
長禄元年(1457)、太田道灌が江戸城を築き、各地をみて回った時、加瀬の台(川崎市幸区)にも城を築こうとして一夜を過ごしました。その夜、夢の中で、どこからともなく飛んできた鷲が、道灌の兜をさらって飛び去り、この丘の上に落として行きました。道灌はこれを不吉として加瀬の台に城を築くのをあきらめ、後にこの地を夢見ヶ崎と名づけました。鷲が兜を落とした丘に兜を埋めたので、兜塚と言われるようになったと伝えられています。

昭和63年3月 鶴見区役所

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