秋葉神社(多摩市中沢)

2024.03.10[ 神社 ]

多摩ニュータウン地区の歴史を今に伝える神社 秋葉神社(多摩市中沢)

変貌を遂げた多摩ニュータウン地区の歴史を今に伝える「秋葉神社(多摩市中沢)」。

鳥居の扁額に「秋葉神社」とあり、またネット上には「上落合秋葉神社」として紹介されていたりもするので一応こちらでも「秋葉神社」としました。実際、古くからこの地にあったのは秋葉神社のようなのですが、その経緯からすると「秋葉神社・稲荷神社・御嶽神社」とする方が正解な気もします。秋葉神社は1782年(天明2年)の創建と伝わっています。

『記念碑』と刻まれた石碑には、以下のように記されています。

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この地域は中組と云い落合の内、大松台、長坂、樋口、入ノ谷、二反田、楢原、高岸、中沢の字からなり、緑豊かな自然の丘陵に囲まれた農村の佇まいであった。
昭和四十年多摩ニュータウンの開発により山林、田畑が強制買収され、これに伴う既存地域の区画整理によって未曾有の大変貌が行われて生活再建を余儀なくし、草ぶき家は解体、神社の森や小川の流れも昔の面影が失われた。
都市開発を期に鎌倉管領の頃と思へる稲荷神社、天明二年の秋葉神社、御嶽社を再築し、地蔵院の地蔵尊、庚申塔、寺の入り辻の弘法様を移設し、歴史の流れと永遠の保存を図り茲に記念碑を建立する。

昭和五十九年十月吉日
落合中組氏子中

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また稲荷神社前にある案内板には、以下のように記されています。

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中組稲荷神社由来
落合旧記に鎌倉管領上杉憲政領なりとあり
古より二反田の森に鎮座中通りの杜なりと境内に山桜の大樹あり開発に伴い伐採し株木祠内に記念す
初午の時氏子集い幟旗飾り日待ち講ありて五穀豊穣と地域の平和家内安全祈願し現代に至る

地蔵堂のこと
古、東福寺この地区にあり元和四年白山神社再築に当り別当寺は青木葉に移り代りに地蔵院建立す 時移りて明治五年幼童教育に処仁学舎開きた誠に学校発祥の所なり、内に宝永の地蔵尊あり富士山噴火ありて降灰及び家内安全祈願の節之建立す

庚申塔の事
昭和八年前は入の谷辻にあり正月の門松しめ飾りお神札などお焚き上げの所あり台座に三申の訓あり道祖神意なり

弘法様の祠のこと
弘法様は明治八年 大暴風があり小山家が大水による崖崩れの土砂に埋まり一家は全滅した 土中より出たのを社に祀った 板碑は崖崩れあり土中より出現と依る

平成十八年五月吉日之建立

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これらを見ると、多摩ニュータウンの開発にあたり地元では相当な反発があったことが窺われますね。実際、開発されたエリアと残ったエリアとの違いは、歩いてみると一目瞭然です(どちらが良いと思うのかは、人それぞれでしょうが)。

最寄駅は、小田急多摩線「唐木田」駅。徒歩約7・8分ほどでしょうか。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

住宅街の中からの神社の眺め。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

神社の入口と鳥居。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

石段を登ったところの眺め。正面に祠を設けていないのは、合祀された神社等をなるべく公平に扱おうという意思の表れでしょうか。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

秋葉神社の社殿。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

秋葉神社の脇にある石宮。一部情報ではこちらが「御嶽神社」とするものもあるようですが、確証は得られませんでした。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

秋葉神社の脇にある祠。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

こちらは稲荷神社の社殿。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

地蔵像。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

石塔群。

秋葉神社(多摩市中沢)写真

境内の後ろには、小田急線の高架が通っています。

MAP

東京都多摩市中沢2丁目18−1

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