松原神社
2019.09.12[ 神社 ]
平安時代創建・江戸時代には小田原宿の総鎮守として祀られていた「松原神社」。
創建当初は鶴の森明神と称し、北条氏の治世以降は松原大明神と称していたと伝わっています。
神社頒布の御由緒には、以下のように記されています。
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松原神社は近衛天皇久安年間(自一一四五年至一一五〇年)の勧請との伝あるも創祀の時期は不明。後醍醐天皇(自一三一八年至一三三九年)の頃当所に真鶴が棲み、故に鶴の森明神と称していたともいうが、一説に当社は山王原村松原にあったとも言われ、後奈良天皇天文年間(自一五三二年至一五五四年)、山王原村海中より金佛の十一面観音が松原に出現、託宣により当社へ祀ったことから神号を松原大明神と称したともいう。
その後北条氏が小田原を治めるに至り、社領を寄進するなど代々当社を崇敬した。天文十四年(一五四五年)三月、小田原海岸に現われた大亀を土地の者が当社の池に持参したところ、北条氏康これを聞き、吉兆なりとて参詣、鏡を取寄せて亀の甲に置き、亀鏡は即ち目出度きいわれありと一門悉く招いて万歳の祝盃を給い、大亀を海へ放ちて後、同月二十二日社前にて四座の太夫により法楽能七番、次いで泰平楽にて舞い納めしめたという。又、元亀三年(一五七二年)五月には社中酒掃の掟書を出し、岡本越前守を検使として厳密な御沙汰があり、町方より百人の人出で境内の掃除に当ったという。
寛永九年(一六三二年)より稲葉氏、貞亨三年(一六八六年)より大久保氏の領地となるも尊崇の念は変らず、社費は総て藩財を以てこれにあて、代々小田原の宿十九町の総鎮守とした。明治二年(一八六九年)松原神社と改称し、明治六年一月県社に列せられ今日に至る。(現在氏子は二十六ヵ町)
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御由緒にも出てくる「吉兆の大亀」、お守りがあったのでいただいてきたのですが、境内にも石像が祀られていたんですね。写真、撮り損ねました。。
御祭神は、日本武尊。相殿に、素盞嗚尊・宇迦之御魂神。
最寄駅は、各線「小田原」駅。徒歩10分ちょっと。
神社の入り口。東海道から一本入ったところにあります。
社標。
一の鳥居前の神橋。
拝殿前の鳥居。
境内社。