大稲荷神社

2019.09.17[ 神社 ]

小田原城の鬼門除けとして再興されたお稲荷さま・境内社も見処あり 大稲荷神社

小田原城の鬼門除けとして再興されたお稲荷さま「大稲荷神社」。

創建年代は定かではありませんが、北条氏の治世に建てられた修験堂に、小田原落城後にこの地に入った旧武田家の家臣・曲淵氏が稲荷大明神を祀ったのが起源と伝わっています。そして小田原藩祖の大久保忠世の時代に京都伏見稲荷大社より田中大神の御分霊を勧請・合祀しました。
大久保氏改易の後は荒廃していたそうですが、大久保忠朝が小田原藩主として復帰後、その子大久保忠増の時に「御神託があり」、小田原城の鬼門除として現在地に遷座・再興されました。

御祭神は、宇迦之御魂大神・田中大神。

地元では現在も「だいなりさん」と呼ばれ慕われているそうです。

最寄駅は、各線「小田原」駅。徒歩5分ちょっと。

大稲荷神社写真

南側にある大鳥居。

大稲荷神社写真

参道。

大稲荷神社写真

各社殿は石段を登った先の小高い丘にあります。

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大稲荷神社の拝殿。

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拝殿前のお狐様。なんとなく「捕まってしまった」感満点。。

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田中稲荷社。

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境内社の錦織神社(にしごうりじんじゃ)。神社頒布の栞には、以下のように記されています。

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「新編相模国風土記稿」によれば錦織明神社、古験者火定せし祀り西郡明神と唱う。慶安年中、領主の命により、今の字に改しと云う。例祭十一月十七日、神体は修験者の形なり。町内持。とあり、もとは須藤町の「かどや」の隣にあったものを大正三年に境内に遷座した。
寛永十年(西暦一六三三年)正月二十一日の大地震により小田原城は大破、領内の足柄上下は特に被害甚大であった。小田原藩主稲葉美濃守は領内の復興のため過酷なる年貢を取り立てた。農民は塗炭の苦しみに喘ぎ暴動を起こしかねない状態になった。この時に上郡関本村名主下田隼人は一家の全滅を覚悟の上で年貢の軽減を藩主に直訴をし、万治三年(西暦一六六〇年)十二月二十三日処刑されたが隼人の一念は見事に達成された。
生前隼人は城下に出向いた時には須藤町の郷宿を定宿としていたため、須藤町の人々は共に西郡の為に身を投じた隼人の義俠を徳として、此の社に秘に併せ祀ってきたものである。
御祭神 錦織大神 下田隼人命

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義民を称え偲ぶ、とても大切な神社なんですね。

大稲荷神社写真

境内社の愛宕神社。757年創建、南北朝時代の1339年には足利尊氏が社殿を建立したと伝わっている古社。しかし江戸開府の際に拝殿・幣殿は江戸の愛宕山に移築されたそう。ということは、現在港区にある愛宕神社ととても深い繋がりのある神社なんですね。

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境内社の医薬稲荷社。

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境内社。

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大鳥居を出て東側に向かったところにある社標。

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