上中里神社(横浜市磯子区上中里町)

2021.10.02[ 神社 ]

上中里神社(横浜市磯子区上中里町)

行基作の不動像を祀っていた不動堂が起源 上中里神社(横浜市磯子区上中里町)

行基作の不動像を祀っていた不動堂が起源と伝わる「上中里神社(横浜市磯子区上中里町)」。

創建年代は不明ですが、行基が諸国遍歴の際にこの地に立ち寄り、不動明王の彫像を造り祀ったのが起源と云われています。また『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代には山の麓にあった間宮寺(元真言宗の寺院で、氷取沢間宮家が再興したと伝わるお寺)の不動堂として、山頂(現在上中里神社の社殿がある場所)に祀られていたそうです。

明治期の一村一社政策によって栗木神社に合祀されますが、戦後に元の社地に還座、上中里神社となりました。

境内にある御由緒板には、以下のように記されています。

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聖武天皇の御代(今から、一二四〇年ぐらい昔)に、行基菩薩が天皇の命を受け、諸国遍歴の折、たまたまこの地に滞在して、天下泰平諸顔満足の祈願をし不動明王の立像を彫刻して、ここ上中里の小高い丘に祀り、笹下六ヶ村の鎮守としました。
それから遥か後、寛永年中に野火にあって堂宇ことごとく焼失しました。その後夜になると田の中から光を発する処があり、村人が其の場所から不動尊の像を掘り出しました。さっそく不動山の頂に堂宇を再建してこの像を祀り、再び村の氏神様としました。矜羯羅、制多迦の二童子も失っていましたが、境内の古樹の洞穴から出現したといわれています。
その後、国の方針で明治四十五年五月、日下村大字栗木の村社に合祀されて、上笹下神社として祀られましたが、昭和二十二年四月氏子一同の熱望により、この地に社殿を奉建して還幸祭を行い、そして昭和四十一年九月社殿を建てかえ、昭和五十四年九月、社殿増築、鳥居復元、境内整備等を行って、現在に至っています。

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御祭神は、神奈川県神社庁のページによると、大日大神。

現在は岡村天満宮の兼務社となっているようです。

最寄駅は、JR根岸線「洋光台」駅、もしくは京浜急行本線「杉田」駅。どちらからも徒歩約20分ほどでしょうか。

神社入口。

石段の中ほどにある鳥居。

丘(小山)の頂上にある拝殿。

境内社。

拝殿前の狛犬。

外観。中央にこんもりと見える林が、上中里神社の境内。

MAP

神奈川県横浜市磯子区上中里町441

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