若宮御霊神社(横浜市磯子区洋光台)

2021.09.15[ 神社 ]

若宮御霊神社(横浜市磯子区洋光台)

戦国時代に間宮氏によって創建された二社が起源 若宮御霊神社(横浜市磯子区洋光台)

戦国時代に後北条氏の家臣だった間宮氏によって創建された二社が起源と伝わる「若宮御霊神社(横浜市磯子区洋光台)」。

天文年間(1532〜1555年)に、当時この地を治めていた間宮氏(間宮信元)により、居城だった笹下城と間宮氏の守護を祈願して祀られた若宮八幡宮と御霊権現社が起源と伝わっています。若宮八幡宮には、間宮氏の出身地である近江国の沙々貴神社も併せて祀られていたと云います。

明治期に港南の天照大神に合祀されましたが、1989年(平成元年)に篠木神社として再建・遷宮され、2004年(平成16年)に現在の「若宮御霊神社」に改称されました。

境内にある「若宮八幡宮 御霊権現社 由来」と書かれた石碑には、以下のように記されています。

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当社は天文年間(一五三〇年)頃時の杉田の庄領主間宮信元により開基されたことは杉田間宮家当社棟札写新編武蔵風土記稿及び明治四一年当社棟札により明らかである。当社は後北条の時笹下城及び間宮氏の守り神として祀られ若宮八幡宮はこの地笹下城若宮曲輪に御霊権現社は旧笹下町四一四六番地に位置し共に城の大手を守っていた。笹下城は杉田の湊を本據とした間宮水軍の根城であった。若宮八幡宮は鎌倉鶴ヶ岡八幡宮より遷宮されたがその本宮である石清水八幡宮の様式に倣って八幡宮と間宮氏の祖先を祀る近江沙々貴神社を一体としてお祀りした。
後北条時代は杉田の庄の総社として扱われていたと伝えられる。江戸期に入って共に小字笹下立野の(洋光台一丁目笹下三丁目の一部)の村民持のお宮となった。その事も新編武蔵風土記稿により明らかである明治四一年訓令により現在の港南区港南の天照大神宮(神明宮)に合祀された。
近年洋光台一丁目笹下三丁目の一部等の有志の心からなる支援協力により平成元年十一月二六日に元のこの地に目出たく遷宮された。宗教法人の法的手続き上神社名は単一にする必要により篠木神社としたが本来の社名様式に変りはない。開基の間宮氏に因んで言へば間宮一族は明治維新まで笹下の地を中心に杉田の庄と深い関係にあった。特に後北条滅亡の際は領主間宮豊前守康俊はこの地の将兵を中心に箱根山中城先手の岱崎曲輪を守り勇戦して秀吉方先手の大将一柳伊豆守を討取ったが衆寡敵せず全滅した由北条記等にも伝えられている。
幕末にはその後裔杉田玄白、間宮林蔵、間宮士信等新時代の曙を告げた人々も出ている。

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最寄駅は、JR根岸線「洋光台」駅。徒歩約15〜20分ほど。

旧川筋?のような道に建てられた案内板。

神社入口にある社標。

拝殿前の鳥居。

拝殿。

境内にある御由緒板。

MAP

神奈川県横浜市磯子区洋光台1丁目13−49

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