辨天山宇賀辨天堂跡(調布市入間町)

2024.05.03[ 史跡・公園等 ]

国分寺崖線の下にお祀りされていた弁財天の跡 辨天山宇賀辨天堂跡(調布市入間町)

国分寺崖線の下にお祀りされていた弁財天の跡「辨天山宇賀辨天堂跡(調布市入間町)」。

江戸時代の1662年(寛文2年)に、明照院の住職だった良慶法印が竹生島弁財天の御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。

石宮の脇にある案内板には、以下の様に記されています。

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當山は室町時代秀海法院により創建された 江戸四谷塩町に稲荷坊石残大翁が御本尊彌陀三尊を現當の利益を興えんと発願し奉安された 彌陀三尊は運慶の御作と傳えられる 當山には御本尊の他に千手千眼観世音菩薩閻魔十王と宇賀辨財天が祀られている 辨天様と言えば美女の佛様であると連想される 八臂のお姿で十五童子の眷属を従え諸芸辨大智福徳を主る佛様である 當山の宇賀辨財天は日本三大辨財天近江国竹生島より第六世住職良慶法印が、寛文二年(一六六二)辨天山に祈願所宇賀辨天堂を建立分影し勧請した 財寶福徳伎芸伎能上達大悲救済大智息災音楽等を利生するとして信者も多く毎年春秋二期祭典も盛大であった 明治十七年四月當山観音堂に合祀され以後辨天山には石佛に改め宇賀神が安置されている 調布七福神辨財天の札所として信仰を集めている

明照院

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跡地には現在石宮が置かれ、(上記によると)宇賀神が安置されている、とのこと。ここは国分寺崖線の一部であり、「入間町一丁目緑地」として保護されているエリアでもあります。明照院は糟嶺神社の元別当であり、また現在「調布七福神」のひとつ(弁財天)となっています。

最寄駅は、京王電鉄京王線「つつじヶ丘」駅。

入口。国分寺崖線下に残されている小さな林の中にあります。

境内跡地の周囲は、現在は枯れていますが水路が造られています。

石を積んで造られた築山の上にお祀りされています。

築山の上の石宮。

御由緒板。

MAP

東京都調布市入間町1丁目44

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