泪橋(浜川橋)

2020.03.25[ 史跡・公園等 ]

泪橋(浜川橋)

鈴ヶ森刑場へと続く、今生の別れの場 泪橋(浜川橋)

鈴ヶ森刑場へと続く、最後の別れの場と云われた「泪橋(浜川橋)」。

かつて東海道沿いに設けられた処刑場・鈴ヶ森刑場に向かう途中、立会川に架かる橋が、処刑人の身内の人々にとっては最後の別れの場になったことから、ここに架けられた橋が「泪橋」と呼ばれるようになり、またここを流れる川が「立会川」と呼ばれるようになったと伝えられています(※由来については諸説あります)。

橋の袂にある、品川区教育委員会による案内版には、以下のように記されています。

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浜川橋
立会川が海に注ぐこの辺りの地名の浜川から名付けられたこの橋は、またの名を「涙橋」ともいいます。
この橋が架けられたのは、徳川家康が江戸入府後の一六〇〇年頃と思われます。現在の橋は、昭和九年(一九三四)に架け替えられたものです。

涙橋の由来
慶安四年(一六五一)、品川にお仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。

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最寄駅は、京浜急行本線「立会川」駅。徒歩1・2分ほど。

泪橋(浜川橋)写真

橋の袂にある案内板。

泪橋(浜川橋)写真

泪橋から見た上流の眺め。川の綺麗な所に住んでいる人にとってこの川の色は驚きでしょうが、都心の川の多くはこんな感じなんです。。

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