マッカーサー井戸(横浜市泉区中田北)

2023.10.16[ 史跡・公園等 ]

マッカーサー井戸(横浜市泉区中田北)

マッカーサー一行が立ち寄ったと伝わる井戸のあった場所 マッカーサー井戸(横浜市泉区中田北)

マッカーサー一行が厚木飛行場から横浜に向かう途中に立ち寄ったと伝わる「マッカーサー井戸(横浜市泉区中田北)」。

1945年8月30日、沖縄から厚木飛行場に降り立った連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー。その後、横浜の「ホテル・ニューグランド」に向かうため、長後街道を通りました。その途中、この地で休憩をとり、一行は井戸の水で喉を潤したと云います。

現在ここはビルになっており、井戸の跡を確認することはできませんが、どうやらかつては現在郵便ポストがある辺りに井戸があったそう。ビル西側にある案内板には、以下のように記されています。

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(資)八百仲商店 ・泉・中田店)の敷地西側にある井戸は、大正元年(一九一二)に同商店が開業して以来使われてきており、現在も開口はしていないが保存されている。
昭和二十年(一九四五)八月に大東亜戦争が終わった。連合国軍最高司令官のマッカーサー元師が日本進駐のため、当時日本海軍厚木航空隊の基地であった現在の「米軍厚木基地」に降り立った。有名な「厚木進駐」である。
彼の日本での第一夜の宿は横浜の「ホテル・ニューグランド」であったため、大勢の部下を従えてこの長後街道を横浜へ向かった。一行は八百仲商店の前で休憩を取ったが、その折、街道の傍らにあった商店の井戸の手動ポンプを使って水を汲み、マッカーサー元師をはじめ兵士たちが代わる代わる美味しそうに飲んで喉を潤したという。以来誰ともなく、この井戸を「マッカーサー井戸」と呼ぶようになった。

宮本忠直 記

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移動に際して、米軍から車の手配を要請されたそうですが、終戦直後で満足な車両を用意できず、先導車は消防車だったとも(※上級クラスには軍部の公用車が用意されたとも、彼等はジープに乗っていたとも言われており、この辺りの情報は不確かです)。また沿道には警護のために約3万人の(旧)日本兵が動員されたそう。現在は案内板以外には何があるというわけでもありませんが、歴史の1ページというか、行間に埋もれている歴史の一部と言えるのかもしれません。

最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「中田」駅。

マッカーサー井戸(横浜市泉区中田北)写真

長後街道沿い、中田駅と立場駅のちょうど中間あたりにあります。

マッカーサー井戸(横浜市泉区中田北)写真

建物の脇にある案内板。

MAP

神奈川県横浜市泉区中田北2丁目6

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