小塚原の首切地蔵(荒川区南千住)
2025.06.23[ 史跡・公園等 ]
刑死者の菩提を弔うために造立された地蔵菩薩「小塚原の首切地蔵(荒川区南千住)」。
現在の皆に千住駅の西側は、かつて江戸の刑場のひとつだった「小塚原刑場」のあった場所。1873年(明治6年)に廃止されるまで、20万人以上の死刑が執行されたと云います。「鼠小僧」で知られる盗人・次郎吉はここ小塚原刑場で処刑されました。
ここで亡くなった方の埋葬・供養のために造られたのが小塚原回向院で、小塚原刑場のみならず伝馬町牢屋敷で処刑・死亡した人もこちらに運ばれ埋葬されました。回向院はその後鉄道敷設によって分断され、南側は延命寺となっています。
その延命寺の境内にあるのがこちらの「首切地蔵」。刑死者の菩提を弔うために、1741年(寛保元年)に造立されました。
延命寺による『「小塚原の首切地蔵」修復寄付募集のお願い』の冒頭には、以下のように記されています。
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「小塚原の首切地蔵」は、江戸の刑死者をはじめとする無縁の供養のために小塚原の仕置場に建立されました。この地蔵導は、鈴ヶ森と並び称された江戸の二大刑場の一つ「小塚原の仕置場」の象徴であり、柔和なお顔で時の流れを静かに見守り、江戸の歴史を今日に伝えてきました。
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また荒川区教育委員会による案内板『小塚原刑場跡と小塚原の首切地蔵』には、以下のように記されています。
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首切地蔵は、寛保元年(一七四一)に造立された石造の延命地蔵菩薩である。無縁供養のため、建てられたといわれる。明治二十九年(一八九六)に開業した隅田川線の敷設予定地に安置されていたため、工事に伴い移された。
明治三十年代から昭和三十年代、毎月五日、十四日、二十七日に地蔵の縁日が行われていた。多くの露店や見世物小屋が出るなど大変な賑わいを見せたという。
荒川区教育委員会
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最寄駅は、各線「南千住」駅。南口を出てすぐ。
延命寺の入口。左手に少し見えるのは、JRの高架。
『小塚原刑場跡と小塚原の首切地蔵』案内板。
首切地蔵。
題目塔。案内文には以下のように記されています。
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元禄十一年(一六九八)二月十五目に京都三条の商人、八幡屋谷口氏と法春比丘尼により造立された題目塔。十七世紀後半、法華信者の谷口氏が全国の街道筋の仕置場等に、一切衆生の救済のため造立した題目塔のひとつであり、品川の仕置場等一〇〇基以上が確認されている。
十九世紀前半には土中に埋もれていたが、慶応三年(一八六七)、江戸の法華信者らによって再設置された。その際に小塚原の仕置場南端の日光道中沿いに移設し、小塚原の首切地蔵(区指定有形文化財)と並んで安置された。明治二十九年(一八九六)、土浦線・隅田川線開通時に縁路の南側から現在地に移動した。近代以降、小塚原の仕置場跡を象徴する石造物として紹介され、広く知られるようになった。
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MAP
東京都荒川区南千住5丁目33−13