笠守稲荷神社(小田原市)
2019.10.01[ 神社 ]
笠になって巴御前を救った白狐の逸話が伝わる「笠守稲荷神社(小田原市)」。
創建年代は不明ですが、巴御前を救った白狐を祀ったとされる祠が起源と云われています。
境内に掲げられている「笠守稲荷神社縁起」には、以下の様に記されています。
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当笠守稲荷神社は、元小田原寺町(現中町)に天正八年創立の花葉山一乗院龍雲寺と云う寺あり、その境内に安置されてあった。伝える処によると、木曾義仲の夫人巴御前(栢山善栄寺に墳墓あり)が偶々この街道を通りかかりし時、計らずも悪者に襲われ一命に関する折、一匹の白狐現われ身を菅笠に変じて危難を救い無事過ぎ行く事が出来たる由、その縁をもって人々同地に祠を造り笠守稲荷として崇め多くの人々から敬信され年月を経て来ましたが、その後故あって龍雲寺が本寺である誓願寺に合併され廃寺になっておりました処明治十六年足柄上郡沼田西念寺の松蔭宣龍上人の発願により現在の地に新寺建立寺名を改めて華葉山龍雲院善光寺と稱してその折、祠を寺門に移し鎮守として護って来ました。その後新道も開けて商店街も発展し、偶々有志の人々と協議し町内の鎮守として永く祀らんと現在地に移し、篤信者の援護により堂宇完成人々の参詣後を絶たず当時近くに遊郭新開地有り婦人等の敬信殊に厚く何時しか笠守が変じて瘡守と呼ばれる様になりましたが幾星霜時代も変りましたので其の後旧名に改め笠守稲荷として人々の篤き信仰の表徴として永く加護される様になりました
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「瘡守」が変化して「笠守」や「笠森」になった例は他所でいくつか見たことはありますが、こちらはその逆のようです。また上記文内では『木曾義仲の夫人巴御前』となっていますが、実際には『木曾義仲の妾』にして武勲優れた女武将だったと云われています。
最寄駅は、各線「小田原」駅。徒歩5分ほど。