久地神社

2019.05.13[ 神社 ]

久地神社

久地村の鎮守として祀られていた赤城大明神が起源 久地神社

久地村の鎮守として祀られていた「久地神社」。

江戸時代には赤城社と称し、やはりかつて赤城社だった現在の溝口神社と「兄弟神」だったと伝わっています。

境内の案内板には以下のように記されています。

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神社の創立年代は定かではないが、風土記には「赤城社、村の南の丘にあり、此所の鎮守なり、社二間に一間半、東南向、前に石段あり木の鳥居たてり、村内浄元寺持」と記載されています。
江戸時代、神仏習合の時代には、赤城社と称され、現在本社とする溝口神社と兄弟神と伝えられていたことから、武を司る毘沙門天・財を司る弁財天をお祀りしていたと云われております。
明治初年、神仏分離により神体は、近隣寺院に合祀され、祭神を天照大神と改め、社名を久地神社と改称致しました。
現社殿は、昭和四十一年十月に再建されたものである。

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溝口神社とは、「兄弟」というよりは「主従関係」といった感じですかね。。

現在は溝口神社の兼務社となっています。

最寄駅は、JR南武線「津田山」駅、あるいは、JR南武線「武蔵溝ノ口」駅、東急田園都市線「溝の口」駅。

久地神社写真

鳥居。

久地神社写真

鳥居の扁額。

久地神社写真

社殿。

久地神社写真

社殿前の案内板。

久地神社写真

「がまん様」に支えられた手水鉢。

久地神社写真

「日露戦役記念碑」と地神塔。

久地神社写真

明治期に建てられた「牛頭天王」碑。『天皇』の文字は。。

久地神社。 #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA

RICOH THETA SCによる360度画像(2019.4撮影)。

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