別所熊野神社
2021.05.01[ 神社 ]
百日咳に対し霊験あらたかだったと伝わる神社
別所熊野神社
百日咳に対し霊験あらたかだったと伝わる「別所熊野神社」。創建年代は不明ですが、百日咳に特に霊験あらたかで、快復した際には山椒俵を奉納する習わしがあったそう。
「別所熊野神社由緒概要」には、以下のように記されています(一部抜粋)。
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当熊野神社は紀元一三八五年神亀元年、桓武天皇の御代御創建の紀州和歌山県熊野三社の御祭神と御一体であり、御神体は木の六寸余の坐像にして広大無辺なる御神徳を敬仰し奉る神社で、子供の百日咳には特に霊験あらたかにして、其の流行期には近郊近在より祈願に詣でる者後を絶たず、尚全快後は山椒俵を奉納するならわしあり 新編武蔵風土記稿巻六十七に当熊野神社は北寺尾村小名別所にあり石段二十級登りて木の鳥居建つ更に二十四級を登ると左右に老松繁茂す境内に御水舎あり慶応二年の奉納によるものとある
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現在の御祭神は、伊邪那岐命。
現在は女躰大神の兼務社となっているようです。
最寄駅は、JR京浜東北線「鶴見」駅。徒歩20分ほど。
神社入り口。
石段の途中にある鳥居と社標。
拝殿。
拝殿前の写真。
境内社の稲荷社。
境内社の別所富士浅間社。石碑には、以下のように記されています。
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別所富士浅間社は約二百年前の安永二年北寺尾一三四二番地に百弐拾有余坪の丘陵に建立され富士塚と稱し多数の信徒と崇敬者を有せり爾来本講は代々其遺志をつぎ奉讃維持し来るも大東亜戦争により高射砲部隊陣地となり樹枝地につく巨木老松下に鎮座せる本社も遷宮の止むなき至り昭和十七年熊野神社境内地奉安祀せ流ものなり
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