たちばな台子ノ神社

2021.06.10[ 神社 ]

たちばな台子ノ神社

村の鎮守として祀られていた神社 たちばな台子ノ神社

旧武蔵国都筑郡成合村の鎮守として祀られていた「たちばな台子ノ神社」。

創建年代は不明ですが、江戸時代には都筑郡成合村の鎮守として祀られていたと伝わっています。

境内にある石碑「子ノ神社について」には、以下のように記されています。

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祭神は大国主命、木花之開耶姫命の二神である。ご神体は鏡であったが、明治中期盗難にあい、その後は木製の鏡型となった。神社の創設の由緒、時代は共に不詳である。新編武蔵風土記稿には、子ノ神社[見捨地二段計]村の鎮守なり、浅間神社より谷を隔て、西にあり、社は一丈に一丈五尺、東に向ふ、社前に鳥居を立つ、之も村民持なり。と記されるのみである、境内地は明治六年地租改正の折、官有地㐧一種として召上げられた。
明治三十九年八月勅令㐧二二〇号による一村一社を基準とする方針の強制に屈し明治四十一年三月四日、無格社浅間神社を当社に合祀した。尚境内に神武天皇の小祠と他に一祠があったがいつか潰滅してしまった。
神社合併の方針は更に強化され、翌四十二年ごろ、当社を上谷本(現みたけ台)の杉山神社に合併する案も出たが、氏子の猛反対にあい取止めとなった。然しこの時に神楽殿まで持去られることを恐れて、これを他の場所に移設改造し部落の集会所とし、昭和四十三年区画整理のため取潰すまで使用した。
昭和二十三年三月、先に官有地として召上げられた境内地は氏子総代三名の連署を以て無償譲与申請し認可された。
境内に安置される、庚申堂、地神塔、辨財天などは部落内に散財していたものを区画整理の結果移設したのである。参道の階段は昭和四十九年区画整理事業完了記念として篤志家より寄進されたものである。
神殿の改築は昭和五十年部落民の共有地たちばな台一丁目十一番地七外二筆の土地を賈却した代金を以て改築した。

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御祭神は、大国主命、木花之開耶姫命。

現在は武州柿生琴平神社の境内社となっているようです。

最寄駅は、東急田園都市線「青葉台」駅。徒歩約25分ほどでしょうか。。

たちばな台子ノ神社写真

境内へ続く参道。脇にはお地蔵様が。

たちばな台子ノ神社写真

参道の中ほどにある鳥居。

たちばな台子ノ神社写真

拝殿。

たちばな台子ノ神社写真

拝殿前の狛犬。

たちばな台子ノ神社写真

御由緒の刻まれた石碑。

たちばな台子ノ神社写真

境内にある地神塔。

たちばな台子ノ神社写真

境内社。

MAP

神奈川県横浜市青葉区たちばな台2丁目22−1

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