青木神社(横浜市港南区大久保)

2021.09.08[ 神社 ]

青木神社(横浜市港南区大久保)

「鵺の宮」とも呼ばれていた、旧多々久郷六箇村の総社 青木神社(横浜市港南区大久保)

「鵺の宮」とも呼ばれていた、旧多々久郷六箇村の総社「青木神社(横浜市港南区大久保)」。

創建年代は不明ですが、かつては青木明神社と称し、武蔵国久良岐郡多々久郷六箇村(久保・最戸・別所・中里・弘明寺・井土ヶ谷)の総社だったと伝わっています。明治期に現在の「青木神社」に改称されました。

神社の御由緒については、神社頒布の資料の中で、以下のように記されています。

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青木神社は今の場所から少し上流西側の高台に建っていました。天明6年(1786)の大洪水で地滑りが起きて川筋が変わり、社殿や境内一帯が川向こうの上大岡村と地続きになり、隣村に鎮座することとなってしまったそうです。昭和2年の写真には樹齢千年といわれる欅の御神木があり、一千年を超える歴史があると云い伝えられています。

昔話では
青木神社は今の場所から少し川上、西側の岸の高台に、木々の守護を願って創られたと云います。
ある年のこと大雨が降り続き土砂崩れを起こし、家も畑も押し流されてしまいました。大岡川の昔は水量も多く流れもだいぶ速かったようです。神社を見ると跡形もなく、周辺を捜すと少し川下の東側の岸にそっくり移動していたそうです。
自分たちの鎮守さまが隣の村に行っては大変と何日もかけて元の場所に戻したが、次の日には大雨で流された東側の岸のあの場所に戻っていたのです。何度戻しても、夜が明けるとお宮は川を越えて隣村に行ってしまいます。あんな大きなお宮を一晩で動かすのは鵺(ぬえ)の仕業だと云われるようになり、鵺の宮と呼ばれるようになったようです。うっそうとした森に囲まれていたのかもしれません。何度戻しても夜が明けると隣村に行ってしまうならそのままにして、隣村から土地を譲り受け現在の場所に落ち着いたそうです。これにより土地を取られた対岸の村の人々からは盗人の宮と呼ばれるようになったとも云い、陳寿の森に盗賊が隠れ住み悪さをすることから盗人の宮と呼ばれるようになったなどの話が伝えられています。また「鵺住(ぬす)の宮」から、これがなまって「ヌスットの宮」となったという説も伝えられています。

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冒頭にあるように実際は地滑りによって川筋が変わった結果、神社が大岡川の対岸になってしまったようです。大岡川の東側の現在の地名は「横浜市港南区大岡西」なのですが、神社のある一角だけは川の西側にある「横浜市港南区大久保」となっています。しかし神社なのに「鵺の宮」とは、なかなか?個性的ですよね。

御祭神は、主祭神として久々能智命。相殿神として、天照皇大神、火産霊命、倉稲魂命、大国主命、天七地五祖神、受持命、豊宇気毘売命。相殿の神は、明治期に近隣にあった伊勢社、火産神社、子之神社、十二所社(熊野社)、稲荷社等七社を合祀したことによるもの。

現在は森浅間神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は。京浜急行本線・横浜市営地下鉄ブルーライン「上大岡」駅。

正面の鳥居。

拝殿。

拝殿の扁額。

拝殿前の狛犬。二対の、と云いたいところですが、拝殿に向かって右側奥は台座のみ残っています。

社務所。こちらの建物は、かつて神社の拝殿だったものを流用しているそうです。

神社の横を流れる大岡川。この辺りは、流れも速く、水も綺麗です。

MAP

神奈川県横浜市港南区大久保2丁目1−11

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