野庭神明社(横浜市港南区野庭町)
2022.10.10[ 神社 ]
下野庭の鎮守として祀られていた神社
野庭神明社(横浜市港南区野庭町)
明治期には下野庭の鎮守として祀られていた「野庭神明社(横浜市港南区野庭町)」。
創建年代は不明ですが、『新編相模国風土記稿』に「神明宮」と記載のあることから、江戸時代後期には下野庭村に祀られていたものと思われます。明治期には下野庭の鎮守(村社)になりました。
神奈川県神社庁のサイトには、御由緒について以下のように記されています。
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本社の御由緒は不詳だが、『永野郷土史』に明治四十二年字第六天にあった白幡社を合祀して社殿を新築したことがある。
この白幡社は、時の地頭弁礼遠江守勝久が造立したとの棟札があり、往昔は村の鎮守であったが、何時の頃からか、神明社がこれに変わった。
現在の社殿は、昭和五十年代、野庭団地造成に伴い、現在地に移され、横浜市住宅供給公社の手で、再建されたものである。
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(以上、神奈川県神社庁サイトより一部抜粋)
下野庭は、かつては相模国東郡山内荘に属し、野場村と呼ばれていましたが、江戸時代前期の延宝年間に徳川領となり、鎌倉郡に編入され下野庭村となりました。現在は上野庭も下野庭も「横浜市港南区野庭町」となっています。
現在の御祭神は、天照大神。
現在は森浅間神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「上永谷」駅。徒歩約15分ほど。
正面の鳥居と社標。
境内。
境内の狛犬。
拝殿。
境内社。
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MAP
神奈川県横浜市港南区野庭町603−2