永谷天満宮(横浜市港南区上永谷)

2022.08.02[ 神社 ]

永谷天満宮(横浜市港南区上永谷)

菅原道真が自ら彫ったと伝わる御神像が御神体 永谷天満宮(横浜市港南区上永谷)

菅原道真が自ら彫ったと伝わる御神像を御神体として祀っている「永谷天満宮(横浜市港南区上永谷)」。

菅原道真の末子・菅原淳茂が、永谷郷に居を構えてこの御尊像を奉祀したことが始まりとされています。社殿が建立されたのは1493年(明応2年)と伝わっています。

鳥居脇に掲げられている『日本三躰 永谷天満宮』には、御由緒について以下のように記されています。

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相模国鎌倉郡永谷郷の鎮守、「天満大自在天神」は醍醐天皇の延喜二年(九〇二)、筑紫太宰府にあった菅原道真が五八歳、宝鏡に自分の姿を映しながら御像三躰を彫られたうちの一躰で、御末子の菅原秀方淳茂卿に下賜されたもの。御丈け一寸八分の御尊像である。他の二躰は筑紫太宰府安楽寺と河内国土師村道明寺にそれぞれ一躰ずつ奉ったとされる。菅原秀方淳茂卿はこの御像を関東に持ち帰り永谷の地で、朝夕崇拝なされた。
その後、御像は菅原文時(道真の孫)、藤原道長、上杉金吾等の崇拝を経て明応二年(一四九三)丑年、二月、相模国八ヶ郷の領主、上杉刑部太夫、藤原乗国が永谷の地に居城の折り暫し霊夢を蒙ったことにより、宮社を建立して御神躰を安置し永谷郷の鎮守として奉ったことが始まりと伝えられる。
その後、天文十二年(一五四三)宅間伊織之亮、藤原綱頼は宮社を修造し、天正十年(一五八二)には藤原規富が宮社を新しく造営し奉った。
江戸時代、将軍家治の時には(一七六〇〜一七八六)、老中田沼意次の尽力により本尊像は江戸城にて将軍の拝観を受けたと伝えられる。

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上記の藤原乗国とは宅間上杉家の11代当主・上杉乗国、藤原規富は15代当主・上杉規富のこと。宅間上杉家は後北条氏に服従した後、江戸時代は旗本宅間氏として徳川家に仕えました。

御祭神は、菅原道真朝臣命。

最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「上永谷」駅。東側の参道までなら、徒歩約5分ほど。

正面の鳥居。境内の北西方向にあります。

鳥居脇にある御由緒板。

参道の「撫牛」像。

拝殿前の石段。

拝殿。

境内社の合祀殿。

筆塚と、お地蔵さま。

拝殿の南側の山(天神山)の中にある、菅秀塚。菅原道真の末子・菅原淳茂が、この場所から毎日朝夕に太宰府の方角に遥拝していたと伝わっています。

境内社の浅間神社。天神山の一番高いところにお祀りされています。

MAP

神奈川県横浜市港南区上永谷5丁目1−5

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