村富神社(相模原市中央区矢部)
2023.12.18[ 神社 ]
上矢部新田の鎮守として創建された稲荷社が起源
村富神社(相模原市中央区矢部)
上矢部新田の鎮守として創建された「村富神社(相模原市中央区矢部)」。
江戸時代前期の寛文年間(1661〜1672年)に、この地で行われた新田開発にあたり上矢部新田の鎮守として創建された稲荷社が起源と伝わっています。明治期には村社となりました。そして戦後の1952年(昭和27年)に現在の社名「村富神社」に改称されました。
相模原市観光協会のよる案内板には、以下のように記されています。
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この神社は、寛文年間(1661〜1672年)に新田開発のために創建されたものですが、もともとは街道沿いの小さな祠であったといわれています。この新田は「上矢部新田」と呼ばれ、江戸の商人相模屋助右衛門が計画したものですが、貞享元年(1684年)には検地がされ、開発面積193町9反9畝26歩が記録されています。
また、慶応2年(1866年)には村の代表が京都伏見稲荷に参拝し、神霊を拝受されています。
なお、この神社には文化3年(1806年)に製作された獅子頭3体が保存されています。
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御祭神は、宇迦之御魂命・大己貴命・大宮姫命。
最寄駅は、JR横浜線「矢部」駅。徒歩約7・8分ほど。
神社外観。
一ノ鳥居。
一ノ鳥居の脇にある地神塔。
長い参道を進みます。
拝殿前のニノ鳥居。
お詣りした時は、拝殿は修復中でした。
境内社の祖神社。相模屋助右衛門の霊をお祀りしているそう。
境内社の山神社。
境内社の蚕影社。
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MAP
神奈川県相模原市中央区矢部2丁目7−15