三島神社(下谷)
2018.03.25[ 神社 ]
元寇で活躍した武将・河野通有により創建されたと伝わる「三島神社(下谷)」。
元寇において、弘安の役(1281年)で活躍した伊予水軍の将・河野通有が、武蔵国豊島郡に大山祇神を勧請せよとの夢のお告げを受けて、当時上野山にあったとされる河野氏の館に奉斎したのが起源と伝えられています。ちなみに三島神社の御本社は、現在の愛媛県今治市にある大山祇神社です。神使は、白鷺。
その後江戸時代初期に、上野山寛永寺の創建に際し旧金杉村に遷座。さらに江戸時代中期(1710年)にはその場所が幕府の御用地となったため、浅草小揚町に遷座しました。これが現在の寿三島神社。しかしそれでは氏神様が遠くて困るということから、根岸の熊野神社に御分霊を勧請し(これが現在の元三島神社)、さらに金杉村にもこの地にもともとあった稲荷神社にこの御分霊を祀り、三島神社として生まれ変わりました。現在まで、河野氏の子孫が代々宮司を務めているそうです。
御祭神は、大山祇命。相殿に、和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命。
最寄駅は、東京メトロ日比谷線「入谷」駅。徒歩10分ちょっと。
火除稲荷社。もともとこの地にあった稲荷社。江戸時代に、徳川氏によって創建されたと伝わっています。
雷井戸。もともとこの地域は雷が多い地域だったそうですが、ある時、境内に雷が落ち、神主が雷を井戸の中に封じ込めたところ、雷が「井戸から出してくれ」と頼んだそうです。そこで神主は「二度とこの地に落ちない」ことを約束させ、雷を許したという逸話が残っています。現在はこの逸話にちなみ「不落守」が頒布されています。
かつて「三島様の石橋」と呼ばれていた石橋。現在境内の北側の道路は、かつて川が流れていたそう。川の土手から境内に向けてかかっていた石橋の一部が、境内に残されています。樋口一葉の『たけくらべ』にも登場しているとのこと。