本牧神社
2021.06.21[ 神社 ]
かつては仏神十二天を祀っていた、本牧の総鎮守「本牧神社」。
創建については諸説あるようですが、神社の記述によると、源頼朝が1192年(厨子)にすでにこの地にあった社殿に、鎌倉の鬼門鎮護のために丹塗厨子を奉納したと伝わっていることから、それ以前にお社(神社公式ホームページを読む限り、若宮八幡宮のことと推定されます)があったものと思われます。
鳥居の脇にある「本牧神社本殿遷座に際し」と書かれた案内板には、以下のように記されています(一部省略)。
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本牧神社(旧称・本牧十二天社)は、旧来、本牧岬の先端(本牧十二天一番地)に張り出した出島の中に鎮座し、巨古木蒼然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様でありました。
その様子は江戸名所図会にも「本牧塙 十二天社」として描かれ、江戸湾を往来する廻船からは航海安全、地元民からは守護神と崇められ、本牧十二天の池に八百年以上も鎮座してあつい信仰を受けていたのです。
しかし、先の大戦の終戦直後の昭和二十一年、この本牧地区は二十三万坪に及ぶ進駐軍の強制接収に遭い、以来、平成五年までの四十七年間、神社は本牧町二丁目に仮遷座を余儀なくされ、多くの氏子共々、苦難の時期を過ごしておりました。
伝記には、建久二年(西暦一一九二年)、源頼朝公が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門(北東の方角)守護を祈念して平安時代から存せる神殿に丹塗厨子を奉納した、とございます。
また、鎌倉将軍惟康親王より社領の寄進、中頃、両管領よりも同様に社領寄進。天正年間には徳川家康公の関東御入国に際し、高十二石免御朱印の下置、以来、徳川十五代将軍より御代々頂戴ーとあり、方除け、厄除けにご神徳が顕然(あらたか)として、武家や庶民からあつい信仰を受けてきたのです。
また、室町時代の永禄九年(西暦一五六六年)から四百年以上も地元住民に受け継がれて来た当神社の「お馬流し」神事は、「ハマの奇祭」として神奈川県指定無形民俗文化財、県民俗芸能五十選であり、毎年八月上旬に現在も斎行され続け、郷土の祭りとして保存されております。
米軍の接収解除とともに、変換地域一帯は横浜市による区画整理事業が施行されました。産業道路の直線整形、消防署の建設などの公共事業計画に伴い、当神社の社有地は従前地の「本牧十二天一番地」ではなく、この「本牧和田」の新天地に換地されました。
この新社地は、表通りに続く前面も、後背地の丘も公園であり、境内地全面が南向きの雛壇形状という、鎮守様をお祀りするには絶好の境内地であります。
四十七年間、仮遷座を忍ばれておられた大神様に、氏子崇敬者の総意による赤誠を捧げ、浄財を募って建立されたのがこの新神殿でございます。
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かつてこちらの神社の別当を務めていた多聞院の僧侶が、御神体とともに仏神十二天を祀ったことから、いつの頃からか「本牧十二天社」と呼ばれるようになったと云われています。
現在の御祭神は、大日靈女命。相殿神として、建速須佐能男命・木花咲耶姫命・大山咋命・八王子大神。また相殿末社として、若宮八幡宮(本牧神社の前身と思われます)・阿夫利神社。
上記の通り元からこの地にあったわけではないのですが、とても素晴らしいロケーション!駅からは遠いのですが、一見の価値あり、です。
最寄駅は、JR根岸線「山手」駅。
神社外観。とても立派な鳥居です。
「本牧神社本殿遷座に際し」と書かれた案内板。
拝殿。
境内社の稲荷社。
境内社の天神社と水天宮。
少し離れたところにある境内社の熊野神社。
リンク
MAP
神奈川県横浜市中区本牧和田19−1