八坂大神(横浜市戸塚区東俣野町)
2024.05.31[ 神社 ]
江戸時代中期に創建された天王社が起源
八坂大神(横浜市戸塚区東俣野町)
江戸時代中期創建・鎌倉街道沿いに鎮座している「八坂大神(横浜市戸塚区東俣野町)」。
1733年(享保18年)の創建と伝わっています。明治期には俣野村の村社でした。神社前の道は鎌倉街道のひとつで、建武の新政の際には新田義貞の軍勢がここを通って鎌倉へ進軍したと伝わっています。
神社の鳥居の脇に建っていたと思われる(※訪問時は地面にありました。。)『鎌倉街道西の道』と書かれた案内板には、以下のように記されています。
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鎌倉街道西の道とも上の道とも言われるこの道は、鎌倉と地方を結ぶ重要街道の一つで新田軍が鎌倉攻略に進撃したのはこの道と伝えられ、歴史ある古道である。
元弘三年(一三三三)五月八日新田義貞は上州新田庄の生品神社の境内で鎌倉幕府討伐のため挙兵した。はじめは其の数わずか百五十騎だったが呼応する者が激増し、小手指原(所沢)、分倍河原(府中市)で幕府の大軍を撃破、さらに村岡(藤沢市)洲崎(大船)で大勝し、鎌倉の包囲網に成功した。
新田軍はついに稲村ヶ崎、極楽寺、化粧坂、巨袋、亀ヶ谷の各方面から鎌倉市中に突入し北条高時ら一族門葉八百七十余人が東勝寺で兵火の中に自刃、鎌倉幕府は滅亡した。
ときに五月二十二日、源頼朝が鎌倉入りしてから百五十三年目のことである。
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御祭神は、素戔嗚尊。
現在は藤沢市西俣野の御嶽大神の兼務社となっているようです。
最寄駅は、小田急江ノ島線「善行」駅。しかし徒歩だとかなりかかります。。
社殿のある場所からは少し離れた(南側)ところにある鳥居。
鳥居の足元にあった案内板。
鳥居脇の石塔群。
神社境内の眺め。
拝殿前には二対の狛犬と石灯籠があります。
拝殿。
拝殿脇の境内社と石塔群。
MAP
神奈川県横浜市戸塚区東俣野町1637