天満天神社(川崎市幸区東古市場)

2020.05.04[ 神社 ]

かつては東京都側と陸続きだった地に建つ神社 天満天神社(川崎市幸区東古市場)

「古市場」の名称のもとになった市が境内で行われていたと伝わる「天満天神社(川崎市幸区東古市場)」。

江戸時代の創建ではないかと伝わっています。

境内にある「天満神社由来」碑には、以下のように記されています(一部抜粋)。

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神社の鎮座は明らかではないが、安政二年江戸大地震に折損した初期の鳥居に刻まれた年号や古い文献より、約三百数十年前、古市場農民二十数戸の尊い浄財により村の氏神として建立されたものと推定される。当時の所在地は、多摩川大橋の上流約五十米の中央河川敷にあり幕府領であったが、明治以後、府県制の制定により東京府荏原郡矢口村古市場となり上台東部台地に一千余坪の神域を有し、萱葺の神社ではあったが、境内には松杉の老木が生い繁り、尚毎年十二月二十五日には有名な古市場天神の「市」が開かれ、近郷より集まる者多く盛況を極めた。
しかし、社会の進展に伴い大正三年を最後に終止することとなった。
明治四十五年四月、神奈川県御幸村に編入され、毎年の洪水で荒廃した神社の大改修と境内の整備を行い、大正四年十月遷宮祭を執行した。現本殿前の大銀杏は当時篤志信者より奉斎された記念樹であり、大きな樟は紀元二六〇〇年記念に国より拝受したものである。
大正九年十二月、多摩川大改修のため、神社も村の中心地に移転し整備された。昭和十六年一月、大東亜戦争による東芝工場拡張のため、余儀なく現在地に移転した。
昭和三十七年、度重なる移転で老朽した本殿・社務所を、古市場全町有志の浄財により新たに建立し、遷宮祭を盛大に執行した。尚この度移転した鳥居は、大正十二年の大震災で折損し補修してあったが、末永く保存すべく旧社跡に移転復元し、更に社の由来を後世に伝えるため記念碑を建立したものである。

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上記にある通り、この地はもともと現在の東京都側と地続きだった場所。戦国時代末期の多摩川の氾濫により流路が変わり、現在の神奈川県川とつながるようになりました。明治期にすでに「東京府荏原郡矢口村古市場」と呼ばれていたことから、本当の意味で市として賑わっていたのはかなり古い時代だったものと思われます。

御祭神は、菅原道真公。

最寄駅は、JR南武線「鹿島田」駅。徒歩20分ほどでしょうか。。

天満天神社(川崎市幸区東古市場)写真

外観。

天満天神社(川崎市幸区東古市場)写真

拝殿。

天満天神社(川崎市幸区東古市場)写真

御由緒の刻まれた石碑。

天満天神社(川崎市幸区東古市場)写真

関東大震災で折損した後、現在地に遷座した際に補修・復元されたという鳥居。

天満天神社(川崎市幸区東古市場)写真

現在地に移る前に遷座していた場所にある元宮。現在は東芝の工場の敷地になっています。

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