上野恩賜公園
2017.11.12[ 史跡・公園等 ]
江戸城の鬼門除けのために建てられた「東叡山寛永寺」が起源
上野恩賜公園
徳川三代将軍・徳川家光の時代に、江戸城の鬼門除けのために建てられた「東叡山寛永寺」が起源の「上野恩賜公園」。
東叡山寛永寺は、二代将軍徳川秀忠の時代に天海に寄進された上野の山(当時は忍が岡と呼ばれていたそう)に、祈祷寺として建立されました。「比叡山延暦寺」を江戸に再現するという構想をもとに造られたそうです。
寛永寺が出来た頃からこの地は「上野」と呼ばれるようになったのですが、それは、もともとこの地を拝領していた伊勢津藩・藤堂家の領地・上野(伊賀上野)に似ていたからと言われています(他にも諸説あります)。
江戸末期の戊辰戦争においては上野戦争の舞台となり、一帯は焼失してしまいましたが、当時日本にいたオランダ人アントニウス・ボードウィンの助言により、1873年に日本初の公園のひとつに指定されました。その後一旦帝室(皇室)御料地となったのですが、1924年に東京市に下賜されたことから「上野恩賜公園」となりました。
現在では寛永寺をはじめ、東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、上野動物園、上野東照宮など、様々な施設がこの公園内にあり、都内有数の観光スポットになっています。
彰義隊の墓。
丘の上から見た、江戸六弁天のひとつ「弁天堂」(の屋根)。
弁天堂の北に建つ「大黒堂」。
夏場の不忍池は、蓮の花で水面が見られません。。
西郷隆盛像。ここの西郷さんは、犬を連れています。