白滝不動尊(横浜市中区根岸町)
2021.07.20[ 史跡・公園等 ]
江戸時代には根岸村の鎮守だったお不動さん「白滝不動尊(横浜市中区根岸町)」。
関東大震災後に再建された本堂には、荒沢不動尊と白滝不動尊(と弘法大師像)の二つのお不動さんが安置されているそうです。
鎌倉時代、修験者が不動像を背負い諸国行脚していたところ、この地で像が岩のように重くなり、動かなくなってしまいました。修験者は「お不動様はこの地が気に入ったのだろう」と思い、村人とともにお堂を建てたというのが「荒沢不動尊」の御縁起。
時は下り室町時代末期の永禄年間。大雨により家を流された住民が、山の中腹あたりに洞穴を見つけ、中を探ると仏像が現れたそう。自宅に持ち帰ると、仏像が光り輝き始めたことから宝積寺に預けるのですが、供養しても収まらず。「元の場所に帰りたがってるのだろう」と考え、井戸のそばにあった岩屋に納めると光は収まりました。その後文禄年間のこと、仏像の見つかった穴から大量の水が湧き、また仏像が住民の夢に出て「我は不動明王である」と告げたことから、改めて御堂を建て仏像を安置した、というのが「白滝不動尊」の御縁起。
江戸時代、検地によって根岸村の鎮守だった八幡神社が滝頭村に編入されたのに伴い、根岸村の鎮守として祀られるようになったと云います。その後八幡神社は根岸村内に遷座し(現在の根岸八幡神社)、根岸村では両方を村の鎮守としました。
しかし明治期の神仏分離の際、白滝不動尊は寺院となり、以降は根岸八幡神社が村社となりました。
関東大震災により二つのお堂は全壊してしまいますが、村内の民家は無事だったそう。住民は「お不動様が身代わりになって守ってくれた」と感謝し、御堂を再建、二つのお不動さんを安置したのだそう。
「村の鎮守」と呼ぶのにふさわしい、素敵なエピソードですね。基本的に「お寺」は扱わない当ブログですが、「元・村の鎮守」ということで掲載しました。
最寄駅は、JR根岸線「根岸」駅。
「白滝不動尊前」交差点からの眺め。
この石段、結構?いや、かなり急で長いです。。途中から「女坂」がありますので、無理せずそちらを使った方が良いかも。
社標。
女坂との分岐点の左側にある「白滝」。現在は「不動滝」と呼ばれているそう。
本堂。
本堂の脇にも、小さな滝があります。
MAP
神奈川県横浜市中区根岸町3丁目156