子母口富士見台古墳
2017.10.26[ 史跡・公園等 ]
「武蔵国橘樹郡」の名称のもととなった、弟橘媛の逸話が残る古墳
子母口富士見台古墳
子母口の丘の頂上に残る「子母口(しぼぐち)富士見台古墳」。
6世紀頃に造られた、この地域の有力者の墓という説もあるそうですが、麓の橘樹神社の社伝によると「日本武尊東征の際海が荒れ、弟橘媛はその身を投じ海を鎮た。やがて入水した媛の御衣・御冠の具だけがこの地に漂着した。」とあり、御陵を造り、流れ着いたものをおさめたと云われています。
現在「古墳」として指定されているのは頂上付近のごく一部で、周囲は住宅街になっていますが、古の神社や古墳の在り方を考えれば、この丘そのものが「聖域」だったのではないかと思われます。
「弟橘媛の入水と漂着物」にまつわる逸話は、関東地方の沿岸部に多く伝わっていますが、「子母口富士見台古墳」でもかなり古くから伝えられている(この地域の名称「武蔵国橘樹郡」も、この逸話とこの古墳に基づいていると云われています)ことから、史実に基づいたものである可能性も小さくないのかもしれません。
最寄駅はJR南武線「武蔵新城駅」。徒歩25分ほど。バスも出ています。
古墳、というには、あまりにも残念な姿ではありますが。。
こちら側の斜面は、削られてしまっています。