碑文谷公園
2019.12.20[ 史跡・公園等 ]
碑文谷池を中心にした地域住民の憩いの場
碑文谷公園
地域住民の憩いの場として賑わう「碑文谷公園」。
公園のシンボルともいうべき碑文谷池は、古くから農業用水として重宝されてきました。かつては「三谷の池」と呼ばれていたそうです。また立会川の水源のひとつでもあります。
週末に行ったのですが、ボートで遊ぶ人たちや芝生の上でお弁当を広げている人たちなど、とにかく地域の方々の姿が多く見られました。とても愛され、親しまれている公園なんですね。
最寄駅は、東急東横線「学芸大学」駅。徒歩5分ちょっと。
目黒区教育委員会による「碑文谷池」の案内板。以下のように記されています。
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碑文谷池
この池は立会川の水源です。もと、碑文谷村の村持(共有地)で、昔は土地の地名をとって「三谷の池」と呼ばれていました。
江戸時代には野鴨が多く将軍の鷹狩り場でもありました。その後はもっぱら下流一帯の水田灌漑の重要な水源として古くから部落選出の池総代により管理され、地元の人びとの奉仕によって維持されてきました。
池の中島に厳島神社があり、江戸時代にこのあたりを知行していた旗本神谷氏が奉献した弁財天像が安置されています。
昭和7年10月、東京市に寄付されて公園となり、その後昭和25年9月に再び目黒区に移管されました。
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ボートの先に見えるのは中島。中島には厳島神社が祀られています。