甚内神社
2019.08.18[ 神社 ]
江戸時代初期創建・武田家の再興を願いながら病に倒れた武人を祀る「甚内神社」。
境内にある案内板には、以下のように記されています。
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甚内神社
当社は「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。
伝承によれば、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。
鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。八月十二日の命日は、今も多くの人で賑わっている。
かつて鳥越川に架かる橋の一つ「甚内橋」の名も付近に甚内神社があったからだといわれる。鳥越川は、今は暗渠となり橋もなくなったが、その名は「甚内橋遺跡」(浅草橋三丁目十三番四号)の小碑に残されている。
関東大震災まで浅草消防署の付近にあったが焼失。その後移転。昭和五年、現在地に移った
平成七年三月
台東区教育委員会
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高坂甚内の出自や経歴については諸説(盗賊の頭であったとも)あるようですが、「主家の再興を願い、時の権力に抗う武人」像は、時代を問わず日本人の琴線に触れる何かがあるような気がします。
御祭神は、甚内霊神(高坂甚内)。
最寄駅は、東京都営地下鉄浅草線・大江戸線「蔵前」駅、あるいはJR総武線・東京都営地下鉄浅草線「浅草橋」駅。どちらからも徒歩5分ちょっと。
境内の案内板。
境内の社標その1。「甚内霊神」と記されています。
境内の社標その2。こちらは「甚内神社」と書かれています。