一之宮天満宮(寒川町一之宮)
2024.10.16[ 神社 ]
梶原景時の居館跡にお祀りされている神社
一之宮天満宮(寒川町一之宮)
梶原景時の居館跡にお祀りされている「一之宮天満宮(寒川町一之宮)」。
梶原氏は 桓武平氏良文流・鎌倉党の一族で、梶原景時の時代には寒川・一之宮にも居館を構えていました。館の物見台があったと伝わる場所に、天満宮がお祀りされています。
寒川町教育委員会による案内板には、以下のように記されています。
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梶原景時館跡
梶原景時は治承四年(一ー八〇年)八月、源瀬朝拳兵の時、石橋山の合戦で洞窟に逃れた頼朝の一命を救いました。翌年正月、頼朝の倉任厚い家臣となり、鎌倉幕府の土台を築くのに貢献します。図に示すとおり館の規模は広大だったとの説もあり、現在も当時の堀のなごりを留めていると伝えられています。天満宮の位置はその一角で、当時は物見の場所として一段と高く構築したとも伝えられています。
景時は和歌もたしなみ文式両道に秀でた武将でした。
頼朝の死後、多くの家臣からそねまれ、ついに正治元年(ーー九九年)十一月、鎌倉を追放され、一族郎党を率いて一宮館に引き揚げました。その後、景時は再起を期し、上洛するため、翌正治二年正月二十日午前二時頃ひそかに館を出発しました。一行は清見関(静岡市清水区)で北条方の軍の攻撃を受け、景時以下討死という悲劇的な最後を遂げました。
館の留守居役の家臣も翌年尾張(愛知県)に移ったと伝えられ、また物見のあとの高地には里人が梶原氏の風雅をたたえ、天満宮を創設したともいわれています。
平成二十一年三月
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最寄駅は、JR相模線「寒川」駅。
正面の鳥居。
鳥居の先には『梶原景時館址』の石碑が。
寒川町教育委員会のよる案内板。
境内の眺め。
社殿。
境内社でしょうか。。
MAP
神奈川県高座郡寒川町一之宮8丁目6−6