保土ヶ谷宿上方見附跡(横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町)
2022.07.20[ 史跡・公園等 ]
近年復元された保土ヶ谷宿の見附跡と一里塚
保土ヶ谷宿上方見附跡(横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町)
東海道保土ヶ谷宿の京都側の入口に設けられていた「保土ヶ谷宿上方見附跡(横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町)」。
1601年(慶長6年)に東海道に設けられた保土ヶ谷宿。その上方(京都)側の出入口となったのが「上方見附」です。しかし明治以降は鉄道の開通等によって宿場町は衰退し、また自動車の普及に伴い道路の拡幅工事等により、ここ保土ヶ谷でも往時の面影はなくなりました。
近年になってかつての風景を復元する機運が高まり、一里塚跡は2007年(平成19年)に、上方見附跡は2009年(平成21年)に復元・整備されました。
保土ヶ谷区役所による案内板には、以下のように記されています。
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一里塚跡
街道の距離の目安として、一理ごとに設置されたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に土盛した小山を作り、その上に遠くからでも目立つよう榎など木々が植えられていました。この付近にあった一里塚は、江戸から八番目のものです。
上方見附跡
保土ヶ谷宿の京都(上方)側の出入口となる上方見附は、保土ヶ谷区郷土史によれば外川神社の前にあったとされています。見附は、土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造をしており、「土居」とも呼ばれています。この上方見附から江戸方見附までは、家屋敷が街道に沿って建ち並び「宿内(しゅくうち)」と呼ばれています。
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最寄駅は、JR横須賀線「保土ヶ谷」駅。徒歩約15分ほど。東海道沿い、外川神社の前にあります。
MAP
神奈川県横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町