吉原弁財天本宮

2019.07.12[ 神社 ]

吉原弁財天本宮

江戸時代創建と伝わる、吉原弁天池に祀られていた弁財天 吉原弁財天本宮

江戸時代創建と伝わる、吉原弁天池に祀られていた吉原弁財天の元宮「吉原弁財天本宮」。

新吉原遊廓造成後、残された池のほとりに建てられたと伝わる「吉原弁財天」。現在は近隣の「吉原神社」に合祀されているのですが、その元宮として保存されています。

現在はほとんど埋め立てられてしまった弁天池(花園池)ですが、案内板には、以下のように記されています。

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新吉原花園池(弁天池)跡

江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦三年(一六五七)の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊郭が移された。以来、昭和三三年までの三〇〇年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。
遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として、毎年正月に多くの参拝者が訪れている。
池は、花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正一二年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、四九〇人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠付近の築山に建つ大きな観音像は、溺死した人々の供養のため大正一五年に造立されたものである。昭和三四年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。

平成十年三月
台東区教育委員会

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元宮や観音像、石仏やお地蔵さまが祀られており、悲しい記憶を現在に伝えています。ここは静かに手を合わせ、被害に遭われた方のご冥福をお祈りする場所だと実感しました。

最寄駅は、東京メトロ日比谷線「入谷」駅、あるいは「三ノ輪」駅。どちらからも徒歩10分ほど。

御朱印は、吉原神社でいただいた「弁財天」をこちらに掲載しました(もしかしたら、これは「浅草名所七福神」の「弁財天」なのかも?と思ったりもしますが。。)。弁財天の文字の左の大きい蛇が「よし」、さらにその横の小さな蛇(?)が「わら」となっています。

吉原弁財天本宮写真

吉原弁財天(元宮)の鳥居。社殿は鳥居をくぐった右手にあります。

吉原弁財天本宮写真

関東大震災によって亡くなられた方の慰霊のために造られた観音像。他にもいろいろなものがあったのですが、やはり場所が場所なだけに、多くを写真に収めることは躊躇われました。。

吉原弁財天本宮写真

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