箭幹八幡宮(町田市矢部町)

2022.02.21[ 神社 ]

箭幹八幡宮(町田市矢部町)

推古天皇の病気平癒祈願の勅命により創建された古社 箭幹八幡宮(町田市矢部町)

7世紀創建・小山田郷の総鎮守として祀られていた「箭幹八幡宮(町田市矢部町)」。「やがらはちまんぐう」と読みます。

616年(推古24年)、推古天皇の病気平癒祈願の勅命により宇佐神宮より御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。平安時代末期以降は小山田庄を支配した小山田一族の氏神として、また地域(小山田郷)の総鎮守として祀られていたと云います。

拝殿前にある「箭幹八幡宮由緒」には、以下のように記されています。

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康平五年 源義家安倍氏を討ち 奥州より帰る途中 木曽に宿り 病にかかって毎夜悪鬼に責められる夢に見た 当社に祈願せしめられたところ 夢に神翁現れ 悪鬼を射倒すと見て病忽ち快癒した ここに於て本宮末社に至るまで尽く再興して神思に報いたと言い この時屋根に羽矢を挿入し 又境内に矢竹繁茂せるを以て 箭幹八幡宮と名づけこの地を矢部と称したと伝う
保元平治の乱に破れた源義賢は大蔵の館に拠り これを迎撃した源義平は 木曽仲三兼任 渋谷金王丸 鎌田正清等を率いて 図師原附近に於て会戦した 勝敗容易に決せず両軍乱戦死闘 義平の軍危しと見えた時 突如老翁と童子現れ 八幡宮の化身ならんと 神意を恐れ 遂に社前に和睦を誓った この時甲冑矢の根を埋めた所を根岸と名づけた 後 小山田有重所領十七郷の総鎮守として尊信篤く 社地建造物の寄進も多く 社参の道に今も鳥居坂の地名が残っている
寛文五年 代官高木伊勢守大鐘を鋳て鐘楼に掛け 後 代官簗田隠岐守亦社殿を再建して 領民と共に盛大な祭儀を挙行した
明治に至り宮号は廃止されたが 戦後再び古名を復した 祭神の神徳広大 学問 産業 災厄防除の守護神として広く尊信されている

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御祭神は、応神天皇。配祀神として、神功皇后。

最寄駅は、JR横浜線「淵野辺」駅。徒歩約20分ほど。

拝殿から見て南西側にある大鳥居。

長い参道。随身門まで100m以上あります。

南関東では数少ない(?)立派な随身門。江戸時代中期のものと云われています。

拝殿。

御由緒の刻まれた石碑。

「子育て獅子」像。

写真ではうまく伝わっていないと思うのですが(写真の技術が低く申し訳ありません)、とにかく広くて、趣のある境内が印象的な神社です。

MAP

東京都町田市矢部町2666

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