和田村稲荷大明神
2020.11.09[ 神社 ]
源頼朝と和田義盛の逸話が伝わる「和田村稲荷大明神」。
源頼朝が治承年中(1170~1180年)、平家追討のため白根不動明王に参籠する途中、この地で宿営した際に、家臣の和田義盛がお稲荷様の霊夢を見たそう。これを聞いた頼朝は喜び、和田義盛によって1185年(文治元年)に社殿が建立されました。
社殿にある「略縁起」には、以下のように記されています。
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抑々 武州橘樹郡和田村稲荷大明神の由来を尋ぬるに昔源頼朝卿治承年中に平家の逆族を追討せんため白根不動明王に参籠ましまし御伴には和田義盛殿を援し奉り當十一面観音を拝参此処に宿有り其夜義盛枕上に大悲の尊體影向ましまし義盛に託していわく汝知らずや此地に稲荷霊社有ることを自後汝此神を信ぜば心中の志願成就すべし義盛ゆめさめて後奇異のおもいをなし速かに頼朝に告奉っていわく某今夜不思議の大悲菩薩の霊夢を感拝し奉る伏して願わくは今當所において些少の社地を喜捨し給え
大将、夢中の誓言拝聞有りて歓喜の餘り永劫八段四畝歩の境内及壱段二畝廿四歩の社地を寄附し給う義盛信心肝に銘じ文治元乙巳年に稲荷の霊社と観音の霊場を御建立其後建久四年の春頼朝卿此邊に御狩りあり當社に御参詣和田稲荷を御拝し給うたり今狩場といえる在名あり御殿跡釜堰有り其所を谷臺と申し傳う然るに霜雪積って四百三十三年になんなんたりしに征夷大将軍御上洛有り神奈川町新殿建立に當社材木悉く御用に相立てし事誠に政あるなり。尊神なるゆえん也というべし
別當 眞福寺
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最寄駅は、相模鉄道本線「和田町」駅。徒歩10分ちょっと。ちなみに「和田町」の名は、こちらの神社に由来するのだそうです。
外観。かなり急な坂の途中に鎮座しています。
和田村稲荷大明神。 #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA
RICOH THETA SCによる360度画像(2020.9撮影)。