街山八幡社(横浜市戸塚区矢部町)
2025.08.25[ 神社 ]
室町時代の創建と伝わる「街山八幡社(横浜市戸塚区矢部町)」。「街山」は「つじやま」と読むそうです。
室町時代・応永年間(1394年〜1427年)に、新田義宗が護持していた八幡大菩薩を奉祀したのが起源と伝わっています。江戸時代には、矢部町の鎮守としてお祀りされていました。
拝殿に掲げられている御由緒板内『由緒』には、以下のように記されています。
==========
応永年間の勧請とも伝えるが創立年代は明らかでない 新田義貞の家嫡・義宗が護持していた八幡大菩薩の神像(延期上人(平安時代末〜鎌倉時代初期)の作)を最初 霊水池のほとりに奉祀した 天正五年の記録には「矢部鎮守街山八幡宮」とある 安永三年及び天保十四年の棟札がある
==========
御祭神は、誉田別命。
現在は冨塚八幡宮の兼務社となっているようです。
最寄駅は、各線「戸塚」駅。
神社入口の鳥居と社標。
鳥居の先、この石段を登ります。
石段を登ったところにある手水舎。
境内の狛犬。
拝殿。
御由緒板。
少し離れたところにある、境内社の梅園稲荷社。御由緒板には以下のように記されています(一部抜粋)。
==========
祭神
鳥帽子直垂御霊体
創建不詳
伝ふ古は字峰に鎮座せられしと年号不詳 蔵坪山六二八番地七坪の地に遷宮せらる 此の蔵坪の地名は徳川時代に穀倉在りしより出でしものならん
享保年間~八代将軍吉宗公頃久二郎なる人此の地に住すとあり 氏子柴田竹次郎の口ひによれば文化の頃ウメ女なる寡婦住す 婦は常に稲荷を崇敬し深く祈願し霊験を授けらる ウメ女大いに喜びしも其儘に過ごせしに或夜祭神現われ其の不法を怒る 此の時の姿は鳥帽子直垂の御霊体なりしとゆう婦は大いに驚き此の旨を名主河原四郎左衛門に告ぐ 名主は有力者成宮茂平治と計り一同を集め協議の上中組の祭神と崇め奉る 按ずるに当地に深き御縁の武家を祭神と仰ぎしものならん 殊に勝負事には霊験著しと今に伝ふ 余は幼少の頃翁に肩を叩かれつつ常に其の霊験につきて聞く所あり 以降明治十七年頃迄祭典の際は山麓を流るる大久保堀より社前迄はのぼり両側に建ち並び誠に荘厳なりしとゆう 之れ氏子が如何に敬神の念深かりしかを立証するものなり 其後社は数回御遷宮あり 之の由緒深き蔵坪山も時世の進運に伴い土地発展して何時しか山形改まるに至る
==========
リンク
MAP
横浜市戸塚区矢部町1003