築土神社

2017.01.30[ 神社 ]

築土神社

かつての「田安明神」・平将門の首が安置されていたと伝わる津久戸明神が起源 築土神社

藤原秀郷によって討たれ京でさらされていた平将門の首を持ち帰り祀った津久戸明神(現在の将門塚付近)が起源と伝わる「築土神社」。940年創建。

1478年に太田道灌によって江戸城の鎮守神として城の北西に遷座。社殿が作られました。

さらに1552年には田安郷に遷座。これ以降「田安明神」と呼ばれるように。この後も江戸城拡張のため等の理由で二度遷座し、筑土八幡神社横に落ち着いてからは「築土明神」と称されることになりました。

江戸時代には徳川将軍家との関係も篤く、御城内氏神として手厚く援助されていたそう。

しかし明治に入り政府の指示によって主祭神は天津彦火邇々杵尊に替えられ、これを機に現在の「築土神社」に。築土神社公式ホームページには「氏子の請願により」勧請、とありますが、神田神社と同じ理由と推察されます。しかし戦災により焼失。この時に、将門の首を納めたと伝わる首桶や肖像画等の社宝もすべて失われてしまいました。

戦後も、2度目の遷座でようやく現在地となる世継稲荷神社の敷地内へ。現在は鉄筋コンクリート造の「ビルの谷間の神社」となっていますが、津久戸明神時代から数えれば創設1000年以上の由緒ある神社です。

平将門にとてもゆかりのある神社なのですが、現在も主祭神は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと・つまりニニギノミコト)のまま。相殿神として平将門公、菅原道真公を祀っています。

それにしても遷座の回数が群を抜いて多いですね。。人々から信奉されているからこそ再建されるのだと思いますが、今後はどうか当地で末長く落ち着かれることを。

MAP

特集

閲覧ランキング

モバイルバージョンを終了