田村銀杏稲荷(港区新橋)
2023.04.25[ 神社 ]
「浅野内匠頭終焉の地」にお祀りされている「田村銀杏稲荷(港区新橋)」。
この場所は、江戸時代には陸奥国一関藩田村家の上屋敷がありました。「赤穂事件」で有名な、赤穂藩藩主の浅野長矩(浅野内匠頭)が切腹に処された場所です。その後関東大震災後に塀の外側にあったという大銀杏が焼失・切り倒された際に、その切り株の上に『田村銀杏稲荷』が祀られたと云います。社名からすると、その頃からお祀りされるようになったのかもしれません。
その後も紆余曲折あったようですが、近年(2021年?)、『切腹最中』で有名な新正堂の工場があるビルの一角に改めてお祀りされるようになりました。
お稲荷さまの台座部分にある『浅野内匠頭終焉の地』と書かれたプレートには、以下のように記されています。
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日比谷通の新橋4丁目交差点わきの歩道に、内匠頭が切腹した場所を示す『浅野内匠頭終焉之地』の石碑が建っています。この辺りは奥州一之関藩主・田村右京大夫建顕の上屋敷があった場所です。
塀の外側には切腹の場を見ていただろうという大イチョウがそびえていましたが、関東大震災で焼失。その後危ないので切り倒され、その切り株の上に『田村銀杏稲荷』が祀られていました。しかしそれも第二次世界大戦で焼失の憂き目に遭い、姿を消してしまいました。
それから半世紀以上を経て、都の環状二号線が旧田村邸跡を切り裂く様に通ることになりました。新橋の古い街並みや家屋が次々に壊されていく中、由緒あるこの地の歴史を後世に伝えようと地元有志によって田村邸の角に『田村銀杏稲荷大明神』が復活致しました。更にその後の再開発により、失ってしまうのですが、数年を経て新正堂の工場の柱の中に復活致しました。田村町ビルと名付けたのもそれが由来です。
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最寄駅は、各線「新橋」駅。徒歩約5分ほど。
正面から。
台座のプレート。
こちらは社殿脇にある往時の写真。
社殿。
通りの反対側からの眺め。
MAP
東京都港区新橋4丁目27−7