高石神社(川崎市麻生区高石)

2022.04.17[ 神社 ]

高石神社(川崎市麻生区高石)

「お伊勢の森」と呼ばれた、地域一の高台に祀られている神社 高石神社(川崎市麻生区高石)

地域一の高台に祀られている「高石神社(川崎市麻生区高石)」。

1654年(承応3年)に創建された伊勢社が起源と伝わっています。明治維新後の一村一社政策により、近隣の熊野社・春日社・八幡社を合祀し、現在の「高石神社」に改称されました。

境内にある「記念碑」と書かれた石碑には、以下のように記されています。

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東を望めば東京を指呼の間に、晴天には遠く地平に房総の山が霞み往時は品川の沖に白帆を望見する事が出来た。市内多摩丘陵にあって海抜百二十米「お伊勢の森」高石神明社の創建は、承應甲午三年(一六五四年)時の地頭加賀美金右衛門尉正吉の建立と御神体に記しあり。
外に高石地内に三社あり、本村には古くから熊野社あり。熊野三社大権現を祀り元和七酉年(一六二一年)奉再造熊野三社大権現成就●と記されたる標札あり、その創建詳ならず。元和以後宝歴三年(一七五三年)安政四年(一八五七年)の再造棟札が現存す。
春日社は字山後に、八幡宮は烏沢に在りたるも、その石小祠現境内地に移転しあり、その創建も又詳ならず。
明治三十九年四月(一九〇三年)一村一社の勅令あり。大正十一年(一九二二年)村内神社の合祀の議整い、神明社、熊野社の解体材を用い高石神社として本殿、幣殿、拝殿の三殿を造営、神明社、熊野社、春日社、八幡宮の四社を合祀し、爾来六十有余念を経遇す。
昭和二十六年四月宗教法人法の施行に伴い昭和二十八年十一月神奈川県知事宗教法人として認証法的地位を確立する。
比の間承應安政年代の用材は歳月の流れに老巧の度合激しく昭和に入り屋根普請等の修復を行なうも昭和五十年十一月総代会に於いて拝殿改築の議起り、建築委員を信徒会代表者に委任、総代と共に委員会を組織し協議を重ねたる結果本殿は御輿殿として転用、造営資金は信徒・崇敬者による浄財と神社資金を充当し、社殿の全面造営、併せて境内地拡張整備事業を行なう事に決す。
昭和五十九年信徒総会に於て経過説明協力方を依頼、同年三月社殿の解体、四月地鎮祭、五月上棟式を、同月境内地整備工事を着工す。
十一月上旬御水屋並びに関係工事を含み創建以来の大事業をここに竣工す。
此の度の造営に当り工事関係者はもとより信徒、崇敬者、並びに本事業推進に邁進せられた建築委員、御支援御協力賜わりたる各位、はた又境内地拡張整備に当り玉垣御奉納賜わり錦上花を御添え下された各位に対し深甚なる謝意を表し、各位の敬神の念篤き事を後世に伝えんが為ここに本碑を建立す。

昭和五十九年十一月吉日

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主祭神は、天照大神。他に、合祀された各神社の御祭神(熊野三社(家都御子神・速玉大神・夫須美神)、春日社(武甕槌命・伊波比主命・天兒屋根命・比賣神)、八幡宮(八幡神應神天皇))。

現在は登戸稲荷社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、小田急小田原線「百合ヶ丘」駅。かつて「お伊勢の森」と呼ばれた、地域一の高台(山)の頂上にあります。

一ノ鳥居と社標。

拝殿。

拝殿に掲げられている扁額。

由緒の刻まれた石碑。

「厄焼落し」。かつて源義経が奥州へ向かう際、道中の災いを落とすために厄を焼き払う神事を行った、という故事に因み、現在もお祭りが行われているのだそう。

境内の風景。とにかく見晴らしが素晴らしい!です。

MAP

神奈川県川崎市麻生区高石1丁目31−1

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