諏訪坂稲荷神社

2020.10.14[ 神社 ]

諏訪坂稲荷神社

かつて諏訪馬之助館のそばに祀られていたと伝わるお稲荷さま 諏訪坂稲荷神社

かつて諏訪馬之助館のそばに祀られていたと伝わる「諏訪坂稲荷神社」。

訪問するまで、「諏訪坂公園」とはもともと諏訪神社があった場所で、「諏訪坂」は神社にちなんで名付けられたもの、と勝手に思っていたのですが、これは間違い。かつてこの地を治めていた諏訪氏の館がこの辺りにあったことからこれらの名が今に残っているそうです。

少し離れた所にある「諏訪馬之助館跡」と書かれた案内板には、以下のように記されています。

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諏訪坂の町名の由来となっているこの坂の途中に、「諏訪馬之助館跡」が在ります。古くは、諏訪山と称して、永享年間(1429〜1440)に、小田原北条氏の家人であった諏訪三河守が、殿山(現馬場町)に城を構えたとき、そこから東北に延びる丘陵の突端にこの館を築いています。
『武蔵風土記稿』に「諏訪家屋敷」として「海道ヨリ右芳へ五・六丁ユキテ丘上ニアリ一株ノ大松アリ是諏訪午之丞」(馬之助)居住アリシ所ニテ其頃前ノ松ナリ 故ニ土人今モ諏訪ノ松トイエリ」とあります。この諏訪の松は、俗に「諏訪の物見の松」と呼ばれていましたが、文政年間(1818〜1829)に枯れてしまったので切り倒されてしまいました。
その後、文久元年(1861)4月、老松のあった根元の塚を掘ったところ、古い石棺が出て、中から数々の異物が発見され、後にこの塚は諏訪山古墳として奈良時代のものと推定されました。

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こちらの案内板には、「諏訪坂稲荷神社」はかつて旧諏訪坂から続く道に鎮座していたと記されています。

また、お隣の諏訪坂公園にある「諏訪坂古墳石棺蓋石と道標」と書かれた案内板には、以下のように記されています。

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現在の諏訪坂と旧諏訪坂にはさまれた所には、北条氏家臣の諏訪氏の館があり、永禄12(1659)年に武田信玄により滅ぼされたといわれています。
この諏訪館に隣接した場所には、奈良時代のものと思われる古墳があり、そこから文久年間に発掘された石棺蓋の一枚が現在まで保存され、地元の人々が、「諏訪馬之助の鎮めの石」と呼んでいる物がこの石です。
また、道標(子育地蔵)は、この地区の古道である寺尾道・末吉道の分岐を示すものとして諏訪坂に設置されていたものです。

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現在「諏訪馬之助館跡」と伝わる場所は、住宅街となっていて案内板以外には王子を忍ばせるものは(ほぼ)見られません。その代わり(?)諏訪坂公園に(稲荷神社も含め)いくつかの史跡が遷され保存されています。

最寄駅は、JR京浜東北線「鶴見」駅。徒歩15分ほど。

諏訪坂公園にある石碑群。一番色の濃いものが「諏訪馬之助の鎮めの石」?

少し離れた、旧諏訪坂に設置されている「諏訪馬之助館跡」案内板。

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