神明山天祖神社

2020.02.04[ 神社 ]

神明山天祖神社

江戸時代の伊勢講が起源・大森駅前に鎮座する神社 神明山天祖神社

江戸時代の伊勢講が起源・大森駅前に鎮座する「神明山天祖神社」。

江戸時代中期・享保年間に、伊勢皇大神宮より御分霊を勧請し創建したと伝わっています。

境内にある御由緒板には、以下のように記されています(誤植を思われる部分は一部修正しています)。

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お社は江戸時代神明社といわれ主神は天照大神を祭神とし凡そ、享保年間(約三百年前)に、土地の庄屋、年寄、百姓が相謀り伊勢神宮の参詣を目的に「伊勢講」を作り伊勢皇大神宮に詣で分霊をお受けして祭祀したのを初めとする。八代将軍徳川吉宗が将軍就任と共に、伊勢の橋爪源太郎が享保二年(1717)幕命を受け「綱差役…将軍の鷹狩りの時に捕らえた鳥に餌付けする役職で彼は鶴の生捕り、飼育に長けていた」として不入斗に居を構え菩提寺は円能寺にある。新井宿村の伊勢講の成立ち、並びに遂行管理に伊勢出身者の彼が便宜を図ったことが予測されるので、此の頃には創建された根拠になっている。
伊勢神宮は天照大神を主祭神とし、天手力男神、万幡豊秋津姫命を相殿に祀る。従い、本神社も三種の神器の一つの八咫鏡を神体としている。お社は八景坂の西上に当たり境内は四十八段の石段を上りたる幽遠の地にして、延宝五年(1677)、江戸幕府の命により円能寺の別当するところになり、明治初年まで同寺の管理下にあった。明治五年(1872)十一月神仏混淆の禁令に伴い、円能寺の手を離れ神明社は伊勢を意味していたので神社ではあるが区内唯一冠称を付け「神明山 天祖神社」と名を改め地元の鎮守として、階段下の神社の標柱にも「鎮守 天祖神社」と刻字され物語っている。

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上記の通り八景坂と呼ばれる坂の上に鎮座していることから「八景天祖神社」とも呼ばれているようです。

最寄駅は、JR京浜東北線「大森」駅。西口の目の前に鳥居があります。

神明山天祖神社写真

大森駅西口から見た風景。

神明山天祖神社写真

社標と石段。結構急です。

神明山天祖神社写真

境内社の正一位伏見稲荷神社。

神明山天祖神社写真

石段を登ると拝殿が。

神明山天祖神社写真

境内にある御由緒書。

神明山天祖神社写真

拝殿の脇にある「鎧かけの松」。後三年の役の際に八幡太郎(源義家)が『この地で駒を止め、鞭を下ろし、鎧を掛けて土地の風景を眺め暫し汗を拭い取った』という逸話が伝わっています。ちなみにこれは当時から数えて三代目と云われており、大正10年の台風で倒れ、切り株のみこのように残されています。

神明山天祖神社写真

境内の一部は公園となっています。

神明山天祖神社写真

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