桜神宮(世田谷区新町)

2021.12.20[ 神社 ]

桜神宮(世田谷区新町)

教派神道十三派のひとつ・神習教の本祠 桜神宮(世田谷区新町)

教派神道十三派のひとつ・神習教の本祠「桜神宮(世田谷区新町)」。

神習教は教派神道十三派のひとつで、大中臣氏の65代目の後裔・芳村正秉によって1880年(明治13年)に「神習教会」として設立、1882年(明治15年)に「神習教」と改称されました。大正時代に神託により現在地に移転。この移転によって関東大震災や先の戦災を免れたことから火伏せ、災難除けの御神徳があると言われています。

神社頒布の栞内「御由緒」には、以下のように記されています。

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桜神宮は明治十五年神田今川小路に創建された天照大御神をはじめ、日本の神々をお祀りする(日本の記紀神話を中心とした神々をお祀りする)神宮です。
大正四年、速やかに西の方角に移転するよう神託が下り、大正八年から十一年にかけて社殿を現在の世田谷区桜新町の地に移転しました。これにより、関東大震災(大正十二年)の災害、並びに太平洋戦争の戦火からも免れ、火伏せ、災難除けの宮としても崇敬を集めました。
創建した芳村正秉は大中臣家六十五代の後裔で、明治初期に伊勢神宮筆頭禰宜、神宮支庁東京出張所(東京大神宮の前身)の所長、龍田神宮宮司を歴任し、一位局(中山慶子様)の要請により三年に亘り大正天皇の健康祈願を行い、明治政府の要人、神社界他、多くの人々から信望を集め、神道神職として人々の教化に尽力しました。
明治十五年には明治天皇の勅許によって教派神道の一派、その名も神宮奉職中に倭姫命から神託によって授かった「神習いの教え」を立てました。このため桜神宮は古式神道の総本山としても全国の人々から崇敬を受けております。
内務省を通して外務省の紹介により、明治時代には珍しく多くの英米人の参拝がありました。
また同十六年には関東八州の御嶽先達の強い要望を受け、長野県知事の許可と御嶽神社祠掌(滝・武居・向井の三社家)の承諾を得て、御嶽三神の御分身を相殿に鎮祭、更に多くの人々から信奉を得ました。

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御祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大御神・国常立尊・大国主命・少彦名命・鐃速日命・豊受大神・倭姫大神・底筒男命・中筒男命・表筒男命・伊久魂大神・正一位稲荷大神・水天宮大神・菅原大神・柿本大神。

なお、こちらの参拝の作法は「二拝四拍手一拝」となっています。

最寄駅は、東急田園都市線「桜新町」駅。

正面の鳥居。右側には「神習教本祠」の石碑。

境内。

拝殿。

屋外神事が行われるという場所(後から調べて知りました。。)の奥にある石宮。

MAP

東京都世田谷区新町3丁目21−3

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